ハインリッヒ・ヘルツ

ハインリッヒ・ヘルツ

周波数の単位に名を残す物理学者ハインリッヒ・ヘルツ。36年という若さでこの世を去ったヘルツの波瀾万丈の生涯を描いた。

著者 ミヒャエル・エッケルト
重光 司
ジャンル 全て
その他
出版年月日 2016/09/01
ISBN 9784501629908
判型・ページ数 4-6・288ページ
定価 2,200円(本体2,000円+税)
在庫 在庫あり

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周波数「Hertz」の単位に名を残す、不世出の物理学者ハインリッヒ・ヘルツ。36歳という若さでこの世を去ったヘルツの人生は、挑戦と失敗、苦悩と努力の連続であった。本書は、ヘルツが両親と交わした文通から、私人ヘルツの視点で彼の人生を辿り、その波瀾万丈の生涯を余すことなく描いた。

<日本語版へのまえがき>
 専門の分野では、ハインリッヒ・ヘルツの名前は世界中に知れ渡っている。しかし、多くの一般の人々にとって、振動の周波数を示すHzから、この単位に呼称を設けるときに、名前を付けられた主が優れた人物であったに違いないとさりげなく教えられる。とはいえ、多くの専門家でも、1888年に行った電磁波に関する実験によって、あらゆる時代でもっとも偉大な物理学者に数えられる人物についてほとんど何も知らないのである。
 ヘルツが研究者として短い人生を過ごしたドイツにおいても、ヘルツが亡くなって百年以上が経過して、初めて彼の一生が詳細な伝記となって現れた。アルブレヒト・フェルジングが、600ページ以上に及ぶヘルツの人生と業績を詳細に描き出し多大な貢献をした。私自身のヘルツについての仕事は、これに刺激を受けた。ハンブルクで生まれた著名な人物をこの都市にささげる「ハンブルクの頭脳」叢書シリーズの一冊として簡潔なヘルツの評伝を出すにあたり、ハンブルクの出版社、エラートとリヒターが望んだのは、評伝でハインリッヒ・ヘルツを評価し、その際に独自の視点を置くことであった。
 今、このヘルツの評伝が日本語に翻訳され、そして出版されることは、重光司氏の苦労と取り組みのおかげである。著者の私にとって、翻訳者が熱心にまた意欲的に取り組んでくれたことに、敬意を表し、深く感謝している。彼は日本の読者にドイツの独自性を理解してもらうように労を取ったばかりか、評伝を取り巻くことがらについて私のドイツ語原本に多くの情報を加えて、注釈を補足しました。この評伝が注目され、そして単位のHzとしてだけではなく、ハインリッヒ・ヘルツの名前が日本においても、よく知られることを願っている。
 2015年7月
 ミヒャエル・エッケルト

<まえがき>
 科学はスポーツに似ていて、――実際、科学は何と言っても考えるスポーツでもある――、最高記録やプライオリティーに大騒ぎする。科学の場合、記録やプライオリティーは発見者や発明者に帰されることになる。これは当然なことで、科学が一般に広く普及していく前に、新しいものを認めるほど難しいことはない。全く同様に、専門家や門外漢の反対に逆らってまで、科学が新しいことをやり遂げるのも難しい。
 科学そのものは、スポーツと違って、いささか変わった振る舞いをする。なにしろ、大抵の場合、科学は障害物に直面するとすべての障害物を洗い流して、高く泡立たせる波のようなものである。科学は進歩していく途中で、プライオリティーの権利を無視するようになり、最初に波に乗った者を配慮することもなく、また後からその波に貢献した者を完全に度外視し、すべてを圧倒しようとする。科学では最初に波に乗った者の後に続く人物をとり上げないことがしばしばある。科学は後に続いた人物が行う独立の、そして場合によっては独創的な発見も、新しい知識が広く受け入れられ、知れ渡っていくために必要である。科学のすばらしい体系は一番早く出現し、素早く組み立てた人物に支えられているだけではなく、少なからず後から来る人が行った研究にも依存している。
 今日、多くの団体のメディア部門が「イノベーション」などと声を張り上げて宣伝するような場合に、その宣伝の内容を詳細に検討してみると余り度を越えたものはない。知識やまた発明の重要度は予告して惹き起こす注目度と必ずしも合致していると言えないのである。
 ハインリッヒ・ヘルツについては、すでに知っているという人が大勢いるかも知れませんが、本書の評伝を通して、彼のような真の天才を細部にわたって知ることは素晴らしくて、また有益でもある。自然科学者や技術者は彼の名前を短縮した――Hz(ヘルツ)――を正弦波の周波数の単位、一秒あたりの周波数として、常日頃口にしている。また、ハインリッヒ・ヘルツが電磁気に関するマクスウェル理論を初めて実験によって明らかにし、この理論を取りまとめ定式化していき、今日のマクスウェル方程式としたことも知られている。多くの人々はハインリッヒ・ヘルツをもっとも切れ味に富んだ実験を考え出した人物というよりは、むしろ「物理学の帝国宰相」として知られるヘルマン・ヘルムホルツの優秀な門下生として記憶されている。
 ハインリッヒ・ヘルツが実験によって検証した電磁波は、電信、無線、テレビそして携帯電話へと、とりわけ電子的なテレコミュニケーションの道を開き、私たちが常日頃何げなく使っている物をもたらしたこともまた多くの人々の知るところである。物理学界のモーツァルトとしてヘルツが人生を終えた年齢はモーツァルトをわずかに一歳上回っただけだが、ヘルツ自身は自分の研究の応用と利用については知ることなく、利益を得ることは全くなかったのであった。
 私が以前、カールスルーエ工科大学(TH)のハインリッヒ・ヘルツ客員教授として招かれるという栄誉に浴したときには、ヘルツについてはベルリン大学の助手であったこと、そのあとカールスルーエ工科大学の正教授として卓越した物理学上の発見をしたこと、そしてボン大学の正教授になったが、そこで若くして感染症に罹ったこと、それに国内外での名声、などについて述べられた資料や事実しか、知りませんでした。
 ヘルツは教育をヴィヒャルト・ランゲ博士が教育改革運動を行っていた私立学校、当時すでに有名であったハンブルクのヨハネウム校と実家で受けている。両親の家は社会的に認められるために何代も前にユダヤ教からキリスト教に改宗したが、ハンブルクの政治と社会に重要な役割を果たした両親は古いユダヤ人の伝統的教育を守っていました。これについては、ミヒャエル・エッケルト氏によるハインリッヒ・ヘルツ教授の評伝を読むまでほとんど知りませんでした。多くの方々も同様かと考えます。また、私は国家社会主義者が「Hz」に異議を申し立て、「ヘルムホルツ」の略字として誤魔化そうとしたことも知りませんでした。もっとも、この試みは国際的な物理や工学の団体では何ら成功することはありませんでした。ただ、彼よりも長く生きた多くの親族とは異なり、彼は亡命者として過ごすとか、また強制的に生命を奪われるというような目に遭うことはありませんでした。
 ヘルツが「ユダヤ人」の家系であることは、1895年版のマイヤー百科事典で、ヘンリック、マルチン、ヴィルヘルム・ルードヴィッヒそれにヴィルヘルムに次いで、いわばヘルツが余計な存在とされており、また私が持っている1974年版でも触れていません。このようなことについては当然ながら知る必要がないことです。
 ドイツ人は科学や経済的な観点からだけではなくドイツ社会全体のためにも、百万人ものユダヤ人が追放され殺害されたときに、ドイツ系ユダヤ人や「ドイツに帰化した」ユダヤ人を失ったことを知るべきであるし、それはハンブルクの頭脳シリーズのような叢書からもわかります。この偉大なドイツ人の優れた評伝と「ハンブルクの頭脳」叢書シリーズを読まれる方には是非、このことについて考えていただきたいものである。
 名誉教授  ヘルベルト・メルクル
 ツァイト財団エベリンとゲルト・ベケリウス理事会理事
日本語版によせて
まえがき
第一章 プロローグ
第二章 自由ハンザ都市の伝統
第三章 エンジニアか、物理学者か
第四章 物理学の帝国宰相のものでの教え
第五章 天職としての物理学者
第六章 キール大学での私講師
第七章 仕事、生活、変化への憧れ
第八章 火花実験
第九章 導線上の波
第十章 電気力の伝播
第十一章 ボンからの招聘
第十二章 電気力学から力学原理へ
第十三章 そんなに悲しまないでください
第十四章 追憶
あとがき
年表
出典と文献
写真・さし絵の出典
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