原子力報道

5つの失敗を検証する

原子力報道

これまでの原子力報道は失敗の連続であったということを、5つの失敗という軸を立ててわかりやすく解説する。

著者 柴田鉄治
ジャンル 社会科学
出版年月日 2013/01/01
ISBN 9784501628000
判型・ページ数 4-6・204ページ
定価 本体2,400円+税
在庫 在庫あり

この本に関するお問い合わせ・感想

元朝日新聞社会部・科学部記者の目を通して、日本の原子力報道のあり方を深く検証した読み物。これまでの原子力報道は失敗の連続であったということを、5つの失敗という軸を立ててわかりやすく解説する。また、福島原発事故結果を検証するための4つの事故調査委員会報告を比較し、今後の原子力のあり方を提言する。

 二〇一一年三月一一日、東日本を襲った大震災と大津波は、かつてないほどの甚大な被害を各地にもたらした。なかでも福島第一原子力発電所の事故は、日本の「安全神話」を打ち砕き、日本の原子力開発を根底から揺さぶる深刻な状況を生み出したのである。
 この事故をめぐって「想定外の大地震、大津波による天災だ」といった言い方が一部に広がっているが、はたしてそうなのか。たしかに地震も津波も巨大なものであったことは事実だが、地震の巣の上に乗っているかのような日本列島の位置からいっても、あるいは実際に襲われた地震や津波の歴史的な積み重ねからいっても、けっして「想定外」のものではないのである。
 たとえば、一八九六年の明治三陸地震津波では今回の東日本大震災に匹敵するほどの大津波が襲い、今回を上まわる死者・行方不明者を出しているし、一九三三年にもやや規模は小さかったとはいえ昭和三陸地震津波が襲っている。また、九六八年にあった貞観地震津波は今回とほぼ同じ規模だったことが近年の研究で明らかになってきているのだ。
 そんな世界有数の地震国である日本で、また、「ツナミ」が世界語になっているほどの津波国の日本で原発をつくる以上、そもそも「地震・津波による事故」が想定外であるはずがないのである。しかも、福島原発における地震の揺れや津波の大きさは、今回の大震災の中での各地と比較してみても、けっして最大級のものではなく、岩手県や宮城県よりもむしろ小さいほうだったのだ。原発の安全対策に手抜かりがあったことは明らかである。
 つまり、福島原発事故は、けっして想定外のものではなく、どこからみても「一〇〇%人災」だったのだ。
 その責任はもちろん、設計・建設・運転にあたってきたメーカーや事業者の電力会社と、安全審査を担当して許認可の権限をもった政府にあることはいうまでもないが、社会へのチェック機能をもつメディアの責任はなかったといっていいのかどうか。
 そういう目で日本の原子力開発五〇年余の歴史を眺め、原子力報道の軌跡を振り返ってみると、さまざまな問題点が浮かび上がってくる。いや、もっとズバリといえば、半世紀にわたる日本の原子力報道の歴史は「失敗につぐ失敗だった」といっても過言ではない。つまり、メディアの責任もきわめて大きいと私は考えているのだ。
 そんな原子力報道の「失敗」の歴史を、私なりの目で検証しなおしたのが本書である。いたるところに私の「独断と偏見」が顔を出していることとは思うが、私なりにできるだけ事実に即した検証を試みたつもりである。
 「日本の科学報道の産みの親は原子力だ」という言葉がある。科学技術にかかわりのある事象を報じる、いわゆる「科学報道」は、報道の歴史が始まったときから存在することはいうまでもないが、それが政治報道とか経済報道とかいうように、一つのジャンルを形成するまでになったのは、戦後のことである。
 科学技術が社会の中でしだいに大きな比重を占めるようになり、それを追う専門記者たちまで必要になってきたからだ。その科学報道の産みの親が原子力だったということは、原子力報道の歴史は、科学報道の歴史そのものだといってもいいのだといえよう。
 また、「日本の科学報道の元年は一九五七年だ」という言葉もある。同年一月に南極に昭和基地が生まれ、八月に東海村の原子力研究所の一号炉が臨海になり、一〇月にソ連の人工衛星スプートニク一号が打ち上げられたという大きな科学ニュースが続いた年だったからだ。
 同時に、その年の前後に、新聞社やテレビ局に科学報道部とか科学取材班といった専門記者集団が誕生したからでもある。
 そのように科学報道自体の歴史も浅く、専門記者たちにとっても経験を積む十分な余裕さえなかった時期に展開された原子力開発に対して、報道が平坦な道を歩まなかったことは、ある程度やむをえなかったのかもしれない。
 しかし、原子力報道が失敗に次ぐ失敗というジグザグな歩みを続けた原因は、歴史の浅さによるものだけではなかった。原子力技術そのものがもつ、他の技術とはまったくちがった「特異性」がもたらした部分も少なくなかったといえようか。
 その特異性とは、原子爆弾という強烈なマイナスイメージをもって生まれ出た「呪われた出生」に始まり、一転して「軍事利用は悪、平和利用は善」と割り切って、国民世論は原子力にバラ色の夢を抱いたものの、しだいに放射性廃棄物の処理ができないという欠陥や核兵器技術との共通性といった弱点に気づいていったことである。
 そして、米国のスリーマイル島事故やソ連のチェルノブイリ事故などを体験して、原子力はいったん事故を起こすと手に負えない悲惨な状況を生み出す技術であることを実感した。こうした経緯を経て、国民世論は賛成から反対へと大きく揺れ動いたのである。国民世論がこれほど揺れ動いた技術は、ほかにはない。
 原子力報道がジグザグの道をたどった原因の一つは、メディアがこの国民世論の大きな揺れ動きについていけなかったことがあげられよう。とくに、スタート時にバラ色の夢を振り撒いて世論をリードしたことが尾を引いて、その後の変化に対応できなかったのではなかろうか。
 世論の変化についていけなかったのは、メディアだけではない。原子力開発を推進してきた政界、官界、学界、産業界の原子力関係者もそうだった。国民世論の変化は無視して、ひたすら原子力政策を推進したこともその一つの現れだが、それだけでなく、原子力に対する批判的な意見や反対派の人たちの声までしだいに耳を入らなくなっていったのである。世に言う「原子力ムラ」の誕生である。
 原子力ムラの人たちは、反対意見が耳に入らなくなっただけでなく、原子力の専門家であっても批判的な意見の持ち主は仲間から排除しようとするかのような動きが強まっていったのだ。
 原子力報道「失敗」のもう一つの原因は、メディアがこの原子力ムラの人たちと適正な距離を保つことができなかったことがあげられよう。専門記者のなかには、この人たちと接近しようとするあまり原子力ムラに飛び込んでその一員になってしまう人もあれば、一方、敬遠して近づかない人もあったりと、いずれにせよ適正な報道ができなかった要因の一つになったことは確かである。
 ところで、私は科学ジャーナリストを名乗ってはいるが、じつは科学部育ちの純粋な科学記者ではない。新聞社のなかでは「何でも屋」に属する社会部育ちで、長いあいだ事件事故や教育問題などを担当してきた。科学担当の論説委員や科学部長として原子力と向き合ったのは、四〇年近い記者生活のうちのわずか五年間である。
 しかし、子供のころから大の理科好きで、「将来は科学者になろう」と堅く心に決めて、高校・大学とその道一筋に進んでいたほどだから、新聞記者に転身したあとも科学への関心が薄まったことは一度もなかった。
 私が目指していた地球物理学者への道をあきらめて新聞記者への道を選んだ理由は、子供時代の戦争体験だった。「戦争は二度とごめんだ」との思いから、日本があの戦争に突入したのはジャーナリズムがしっかりしていなかったからだと知って、ジャーナリストに転身したわけである。
 そのため、科学の専門記者ではなく、「何でも屋」の社会部記者を志望したわけだが、といっても、南極観測に同行したり、アポロの月着陸を米国へ取材に行ったりと、大きな科学事件には社会部記者として直接かかわってきたし、また、公害問題を担当して科学技術の負の側面をみたことも無駄ではなかった。
 それに、わずか五年間とはいえ、論説委員や科学部長として原子力と真正面から向き合った時期は、米国スリーマイル島事故をはさんでメディアが原子力に対する姿勢を変えた激動の時期であり、私も懸命に原子力を勉強した五年間だったのである。
 さらに言わせてもらえば、生粋の専門記者でなく、やや距離を置いてみてきた人間のほうが原子力報道の検証はやりやすいという面もあるのではないか。そのうえ何よりも、私の四〇年近い記者生活が、原子力開発の歴史とほとんど重なり合っているという点も検証にはプラスだといえようか。
 私の検証が適切であるかどうかは読者の厳しい叱正の声を待つとして、本書が、これからの日本の原子力政策はどうあるべきかを考えるうえで、少しでも参考になれば望外の幸せである。
 また、同時にメディアのあり方、ジャーナリズムの報道の姿勢について、メディア関係者にいろいろ考えてもらえたら、嬉しく思う。
第1章 呪われた出生
 1 ヒロシマ・ナガサキ
 2 原爆が開発されるまでの各国の動き
 3 占領下、原子力報道の「空白期間」
 4 封印された「原爆報告書」
 5 アサヒグラフ「原爆特集号」の衝撃!
第2章 原子力開発の幕開け
 1 突然の原子力予算計上でスタート
 2 第五福竜丸事件と同時スタート
 3 政界・学界の動きと米国の思惑
 4 草創期に世論をリードした二人の新聞人
 5 「新聞は世界平和の原子力」が新聞週間の標語に
第3章 バラ色一色の一九五〇~六〇年代
 1 広がる原子力ブーム、産業界や大学も…
 2 新聞社・テレビ局に科学報道部、科学記者の誕生
 3 東海村のアトム記者たち
 4 日本の原発の主流は米国製の軽水炉に
 5 原子力の特異性を強調しなかったメディア―第1の失敗
第4章 反対派が登場した一九七〇年代
 1 きっかけはアポロ、公害・環境問題から
 2 広がる反対運動、原発は「トイレなきマンション!」
 3 「安全神話」の誕生、歪んだ原子力開発
 4 推進側より反対派に厳しかったメディア―第2の失敗
 5 メディア社内に「奇妙な分業」が…
 6 核兵器との「切っても切れない縁」
第5章 米国スリーマイル島事故、ソ連チェルノブイリ事故
 1 やはり事故は起こった!日本の安全論議を直撃
 2 メディアも姿勢を変えた!
 3 敦賀原発事故報道がもたらしたもの
 4 史上最悪のチェルノブイリ事故、世論も逆転
第6章 揺れ動く国民の意識
 1 国民世論と原子力政策との乖離
 2 相次ぐ事故隠し・トラブル隠し
 3 メディアの原発批判は「原子力ムラ」には届かず空振りに―第3の失敗
第7章 東海村JCO事故と省庁再編
 1 一九九〇年代の世論の揺れ戻し
 2 「まさか」「まさか」「まさか」のJCO事故!
 3 原子力安全・保安院の誕生、原子力安全委員会の棚上げ
 4 原子力行政をチェックできなかったメディア―第4の失敗
第8章 福島原発で重大事故が起こる
 1 地震も津波も「想定外」ではなかった
 2 福島原発事故は一〇〇%人災だ!
 3 「何が起こったのか」に肉薄しなかったメディア、発表依存に―第5の失敗
 4 誰が事故処理の指揮をとっているのか
 5 「現場」に行かないメディアとは
第9章 四つの事故調の結果を再検証する
 1 動き出した四つの事故調
 2 四つの事故調から明らかになったこと・ならなかったこと
 3 四つの事故調の結果をみて私の抱いた疑問点その1
 4 四つの事故調の結果をみて私の抱いた疑問点その2
第10章 これから原発をどうするか
 1 各国はどう動く、二極分化の様相
 2 日本はこれからどうする?
 3 新聞論調も二極分化?
 4 最終的な決着は国民投票で?
おわりに 報道にはいつも検証が必要だ!
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