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出版局長だより  (第29回)

シアトル・ポートランド旅行記 最終回

今日は帰国の日です。
朝、近くのノードストロームとメーシーズを家内と二人で見に行きました。それから11:00にチェックアウトしました。

ベル・キャプテンを呼ぶと、30分は来ないだろうと思っていたのに2分とかからず、飛んできたのには驚きました。初回の心づけがすごい印象を与えたようです。
自動車はバレット・パーキングなので、なかなか出てきませんが、その内出てきました。全ての荷物を積み込んでシェラトンとさよならをしました。

12:00にシータック空港近くのレンタカーの返却所に着きました。ニッサンのセントラは全行程1600キロの走行中一度も故障を起こさず、良い車だったと感謝しています。次の問題はトランクやバッグをシータック空港行きのバスの停留所まで運ぶことです。
かなりの距離があるので困ったなと思っていたら、親切な職員の人が大型のキャリアーを持ってきて運んでくれました。

大変感謝し、心づけを渡そうとしたら、「これは自分の仕事の一部ですから受け取れません」と言われました。
そういう人やそういう態度は好きだなあと思います。本当に感謝しているので受け取って欲しいと手渡しました。

空港でのチェックインはスムーズでしたが、セキュリティ・チェックが大変で、ものすごく長い行列になっています。欧州から「米国のセキュリティ・チェックは行き過ぎだ」という意見も出ているのだそうですが、米国はテロの脅威にさらされており準戦時体制になっているのでしょう。
この長い列を抜けるには何時間かかるのかと思っていたら、家内が我々のチケットの場合は別の列があるらしいと聞いてきました。

たしかにその列はあって、非常に短く、さっと抜けられました。セキュリティ・チェックも緩やかでした。でも他の方は長い時間待たされた上に、検査となると、上着も脱がされ靴も脱がされ、何度も検査されていて大変でした。込み合っていて熱気がもうもうという感じです。

あとは出発時間までラウンジで時間をつぶして過ごしました。

気の付いたこと

今回の旅行は無理をしないことを全面的な方針にしていましたが、その原則に引きずられ過ぎたかなと思うことが2つほどあります。

1つはシアトル中心部のEMP博物館に入らなかったことです。まん前まで行ったのですから、無理をしてでも入るべきだったかなと思います。マイクロソフトとビル・ゲイツの研究が主だからというので外してしまいました。しかし、ポール・アレンの世界を理解するためにはジミ・ヘンドリクスの記念館であるEMP博物館は見ておくべきだったかも知れません。しかし、結果論です。

もう1つは、シアトルの西のフッドカナル(Hood Canal)です。ここでは、チーリオ(Cheerio)に田舎風の丸太小屋がありました。昔、ここでゲイツ一家と友人達が夏の間、2週間ほど滞在しました。ここでビル・ゲイツは、子供の頃、夏の間、水上スキーや、サマー・キャンプなどをして楽しみました。子供達はチーリオ・クラブを作って森や海を遊びまわり、その遊びからチーリオ・オリンピックが開かれるようになり、子供も大人も参加して楽しんだといいます。

チーリオの遊び仲間がちりじりになる頃には、ビル・ゲイツの祖母アデル・マクスウェルが夏の別荘を手に入れ、ここで夏を過ごす習慣はビル・ゲイツ一家の伝統のようになりました。1987年に祖母のアデル・マクスウェルが亡くなると、ビル・ゲイツは祖母の思い出にチーリオからそう離れていない所に4軒の家からなる集合住宅ゲイトアウェイ(Gateaway)を建てました。敷地は3.5エーカーほどで65万ドルであったといいます。テニスコートや温水浴槽が備えられていました。

その内、ゲイトアウェイはマイクロソフトの社員達も利用するようになりました。ここでチーリオ・オリンピックを継承したマイクロゲームが楽しまれるようになったのです。120人もの人が参加するほど大規模なものになったといいます。

フッドカナルは、シアトルの西方にあり、遠くに見えます。パジェット湾を越えなければなりませんし、旅行前の検討では、地図を眺めて、とても行けないと思って、あきらめました。ところが、帰国してから調べ直してみると自動車でシアトルから1時間半という記述がありました。

グーグルの地図で確認すると、ビル・ゲイツの祖母の家から88.0マイル(143キロ)で自動車で1時間44分だそうです。むろん渋滞がないとしての話です。それなら行けば良かったかなと思います、ただ今回の旅行の時はフッドカナルの目標地点のアドレスが正確に分かっていなかったから無理でした。残念だったと思いますが、仕方がないと思っています。

もう年齢が年齢なので、添乗員付きのツアーならいざ知らず、夫婦二人だけで、こういう無謀な旅行をできるのは最後だろうと思います。後から考えてみると、食事も全て簡略形で、しかも非常に駆け足の旅行で、帰国してから1,2週間は疲れが抜けませんでしたが、大変勉強になりました。全行程の運転手を勤めてくれた家内に深甚なる感謝の意を表したいと思います。

この旅行記は非常に急いでまとめているので、間違いや配慮の足りない点もあるかと思います。順次、正していく積りです。