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出版局長だより  (第25回)

シアトル・ポートランド旅行記  その7

オレゴン州ポートランドへ

ワシントン州シアトルに来たのですから、ついでにオレゴン州ポートランドに行きたいと思いました。ポートランドでは、高校生のビル・ゲイツと大学生になったばかりのポール・アレンがポンヌビル・ダム発電所でTRWのアルバイトをしていました。

そしてスティーブ・ジョブズもポートランドのリード・カレッジに通っていましたし、南西に下ればマクミンビル近くにアップルの名前の起源となったリンゴ農場オール・ワン・ファームがあります。そこで一石二鳥どころか、一石三鳥だと思ったのです。

しかし、家内に「ポートランドってシアトルから南に300キロね」と言われた時は、ああと思いました。そんなに距離があるとは思っていませんでした。地図では本当に近くに見えるのです。何とも迂闊です。

宿はオレゴン州ポートランド82番アベニューNE 7101番地(7101 NE 82nd Ave., Portland, Oregon)にあるポートランド空港近くのレッドライオン・ホテル・ポートランド・エアポート (Red Lion Hotel Portland Airport)を宿に選んであります。

朝7時10分に、荷物を全て搬出し、セントラに積み込み始めました。トランクの容量が大きく、収容が楽です。7時30分にベルビューのレッドライオンを出発しました。インターステート5経由で3時間以上かかると思っていたので、1時間半おきに休憩を取ることにしました。
9時にワシントン州セントラリア、ハリソン・アベニュー1120番地(1120 Harrison Ave Centralia, WA)にあるI5フード・マートに着き休憩しました。ベルビューから85.5マイルです。

ここでセーフウェイを見つけて、食料の調達をしました。野菜と果物とパンとチーズです。ブドウがとても美味しそうだったので買いました。後で知ったのはワシントン州やオレゴン州のブドウではなく、カリフォルニア州のブドウでした。期待以上に美味しいブドウでした。

9時40分にセーフウェイを出発し、11時にレッドライオン・ホテル・ポートランド・エアポート に着きました。ただレッドライオンにチェックインできて、部屋に入れるのは、午後3時からなので、まずボンヌビルのダムを訪ねることにしました。ただ問題はボンヌビルのアドレスが分からないのです。あれだけ大きな施設でありながら、インターネットではアドレスが見つかりませんでした。これではカーナビにデータを打ち込めません。

レッドライオンの受付の親切な男性が探してくれるのですが、なかなか見つかりません。やっとオレゴン州カスケード・ロックス、ダム・ロード(Dam Road, Cascade Locks, Oregon)であることを教えてくれました。。レッドライオンの東方36マイル、自動車で約40分でした。早速コロンビア川沿いに走ること40分、めざすボンヌビルのダムに到着します。ビジター・センターの看板のある所を目指します。

ボンヌビルの発電所とTRW

1972年の暮、TRWが、ワシントン州バンクーバーのポンヌビル電力事業団の配電網に使うリアルタイム・オペレーティング・アンド・デスパッチ・システム(RODS)関係の技術者を急募していました。TRWは1901年に自動車部品メーカーとして出発しましたが、ミサイルなどの宇宙航空防衛関連事業に積極的に進出しました。2002年に宇宙航空防衛関連事業をノースロップ・グラマンに売却するまで、TRWと言えば、軍需関係の仕事で有名でした。

ボンヌビルはバンクーバーからコロンビア川を36マイル遡った地点にあり、発電用のダムがあります。ここの発電所の発電機は8つの西部の州に電力を供給していました。
TRWは米国内務省の委託によって、RODSというリアルタイム・オペレーティング・システム(リアルタイムOS)を実現しようとしていました。RODSは、各地の電力需要を1秒ごとに収集し、需要の多い地域により効率的に電力を供給できるようにするはずでした。

TRWは、DECのPDP-10用のOSであるTOPS-10をリアルタイムOSに改造して実現しようとするものでしたが、当初の楽観的な見積りに反して難航していました。そこでTRWは必死になって優秀なプログラマーをかき集めようとし、そこでビル・ゲイツとポール・アレンも呼ばれたのです。

合衆国陸軍工兵隊

ボンヌビルの施設の入口には軍服の女性兵士が立っていて、「武器は持っていないか?」と尋ねるので、少しあっけにとられました。「持っていません」と答えました。このコロンビア川の中洲の島は、合衆国陸軍工兵隊(US Army Corps of Engineer)が管理している準軍事施設なのです。どこにでも合衆国陸軍工兵隊の看板や表示が出ています。日本で自衛隊がダムの警備をしているという話は聞いたことがありません。昔の冷戦の遺物はまだ生きているのだと思いました。

それでいて、奇妙なのは観光客が非常に多いことで、米国人の観光客はもちろん、バスで語学研修の日本人の団体も来ていました。他に見るべきものがないからかもしれません。

われわれ訪問客はビジター・センターの中には入れます。コンクリート造りの何階にもなっている建物で、コロンビア川の説明や、ダムや発電所の説明もあり、お土産さんもあります。寄付をすると、バッジも貰えます。1ドル寄付して1つもらって来ました。
ただ訪問客は、当然のことながらビル・ゲイツやポール・アレンが働いていた深い地下施設には入れません。

スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』

ポール・アレンの自伝『アイデアマン』によれば、ボンヌビル電力事業団の制御施設はコロンビア川を横切るように造られていて、その大部分は深い地下にあり、鉄筋コンクリート造り施設の中には、核戦争が起きた時に放射性物質を洗い流すためのシャワールームまであったといいます。ダイヤル錠がついたいくつのドアーを通り抜けて行くと制御室がありました。

ポール・アレンのスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』に出て来るような部屋だったようです。ただの電力制御室でなく、核戦争まで意識した戦略拠点として計画された施設だったという話です。2台の大型コンピュータのPDP-10があり、データ収集用のPDP-11がずらりと設置されていました。

どうして、このような地下要塞のような建物にしたかというと、シアトルにはボーイング社の戦略爆撃機工場があり、戦略爆撃機生産のためには、大量のアルミニウムが必要で、アルミニウム生産のためには電力が絶対不可欠でした。したがってコロンビア川のボンヌビル電力事業団の制御施設は、準軍事施設だったのでしょう。ロジャー・セールの『シアトル 過去から現在へ』の原著182頁のボーイング社の歴史の部分を読んでいた時に気が付きました。

そこはもちろん準軍事施設ですから、入口は秘匿されているはずですし、見つけたとしても入れるわけもありません。ただ真上までは来たということで満足しました。
ボンヌビルの発電所については『ビル・ゲイツ Ⅰ』39頁から42頁に書いてあります。

スティーブ・ジョブズの通ったリード・カレッジ

12時半に見学を終了し、車内でサンドイッチを食べて13時に出発しました。まだ3時までは時間があるので、ポートランドに戻って、若きスティーブ・ジョブズが通ったリード・カレッジを訪ねてみることにしました。

スティーブ・ジョブズは、1972年9月、オレゴン州ポートランドのリード・カレッジに両親に送られて到着しました。新学期の始まる数日前といいます。
スティーブは「じゃあね。送ってくれてありがとう」という感じで分かれたといいます。700マイル以上の道を送ってくれた両親に、キャンパスの中を見て行けばとも言わなかったようです。

リード・カレッジは、オレゴン州ポートランドSEウッドストック・ブールバード3203番地(3203 SE Woodstock Blvd, Portland, Oregon)にあります。1908年に設立された私立のリベラルアーツ大学です。リード・カレッジの名前はオレゴンの開拓者のシメオン・ガネット・リードとアマンダ・リードに由来します。

リード・カレッジの新入生には、人文系の科目のユマニテイーズ110が必修科目になっています。 この科目はギリシア、ローマの古典、聖書と古代ユダヤの歴史などを多くの必読書リストにしたがって、みっちり学ぶことになっています。

ところが、スティーブは、そういうことを全く知らなかったようです。大学を選ぶに際してスティーブは克明に大学研究をしたと書いてある伝記が多いですが、リード・カレッジではヒッピー文化とLSDが蔓延しているというイメージや風聞だけで選んだようで、カリキュラムを研究したかどうかは疑わしいと思います。最も勉強が嫌いな男が、最も厳しく勉強させられる大学に迷い込んでしまったので、これは不幸で、ドロップアウトするのは当然です。

ボンヌビル発電所からリード・カレッジまでは40マイル、自動車で47分です。

近寄ると、米国の大学にしては小さめの、非常に雰囲気の良い大学です。こういう所にスティーブ・ジョブズは来ていたのだなと、キャンパスの中を自動車でゆっくり走り回り、時々降りては写真を撮りました。

ハレ・クリシュナ教団

リード・カレッジから西方18 マイルのヒルズボロ市ノースウェスト・アロックレク2095番地(2095 NW Aloclek Hillsboro)にクリシュナ意識国際協会(ハレ・クリシュナ教団)があり、ここでは毎週日曜日の17時から、サンデーフィースト(日曜の饗応)が開催されていました。
17時から17時半までアロティークという儀式があり、17時半から18時15分がバガバッド・ギータの詩編の朗誦、18時15分から18時30分までがキルタンである。音楽に合わせてハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレなどと声高く唱えるのです。
音曲に合わせて踊ることもありました。

そして18時30分から18時半までが無料で提供される御馳走の時間である。ライス、野菜、ダル(乾燥豆のスープ)、デザート、飲み物などが出ました。スティーブ、フリードランド、コトケ、エリザベスの四人は、サンデーフィーストに参加するために出掛けました。趣味と実益を兼ねていたのでしょう。
リード・カレッジから18マイル(30キロメートル)も離れたクリシュナ意識国際協会までわざわざ出掛けて行ったのですから、男性三人はよほど困っていたのでしょう。

リード・カレッジからは18.2マイル、自動車で29分です。ところが到着してみると、倉庫が並んでいて、きょとんとしました。どうやら移転したようです。ホテルに帰って調べてみると、オレゴン州ヒルズボロ1番アベニューN612番地(612 N 1st Ave, Hillsboro, Oregon)になっていました。

テクトロニクス

そこで、近くのテクトロニクスを目指しました。テクトロニクスは世界一のオシロスコープを作る会社として有名でした。昔、テクトロニクスの社史を読んで、要約してオーム社の雑誌に掲載してもらったことがあります。
伝説的なハワード・ボラムの会社はどんな所にあるのか一度見て見たいものだと思っていました。1946年創業当時はフォスター・ロードSEと59番アベニューSEの交わるあたり(SE Foster Road and SE 59th Ave. , Portland, OR)に本社がありました。

ウィラメット川東岸でレッドライオンとリード・カレッジの中間あたりです。その後、さまざまな変遷を経てウィラメット川西岸のビーバートンに移りました。日本ではソニーと合弁でソニー・テクトロニクスの時代が長く続いたようですが、2002年には解消しました」。
テクトロニクスは、現在ダナハー・コーポレーションの子会社になっています。

いつのまにか夕方になってきていたので、レッドライオンに戻ってチェックインすることにしました。しかし、ポートランドは実は思っていた以上に交通の要衝で、道路が非常に複雑だと思い知らされることになります。
高速道路が複雑で、うまくループを抜けなければならないのですが、それが簡単ではありません。自動車のGPSとアイフォーンの地図を使って進路を確かめますが、走りながらでは簡単ではありません。

意外に役立ったのはランド・マクナリーの紙の地図です。これで大局的な方向を確認し、何とかレッドライオンに辿り着きました。

レッドライオンと壊れているお風呂

昼間と違って、レッドライオンのフロントのスタッフは、きわめて愛想の悪いアジア系の人達に代っていました。とてもサービス産業とは思えません。昼間のスタッフとの約束では一階の部屋を取れるはずだったですが、二階の部屋しかないと言います。レッドライオンにはエレベータもエスカレータもないので荷物を上げるのが大変です。ただ、ここにはベル・キャプテンがいたので、ワシントン州ベルビューのレッドライオンよりは良かったです。

しかし、フロントのスタッフの愛想の悪いことは信じられないほどでした。どうやら英語を話しているらしいのですが、半分くらいしか聞き取れません。最後にパスポートを叩きつけて返したのが不快でした。
こんなことでは、このホテル・チェーンはいつまで持つかなと思いました。

唯一良かったのは、予約した料金よりかなり安かったことですが、お風呂が壊れていて、栓がしまらず、お湯は、全くたまりませんし、シャワーはどうやっても漏洩が止まりません。お風呂のカーテンには黴が生えていました。
お客はシャワーしか使っていなかったのでしょう。お風呂の栓の漏れは石鹸入れを逆さにして被せて、なんとか半分くらいはお湯がたまるようにできました。

サービスこそが資本主義の真髄なのに、まことに遺憾です。少しこまめに設備に手を入れて、接客態度を良くするだけで、もっと快適にできるはずなのに、本当に残念でした。

文句を言っても始まらないので、食事をしてワインを飲んで、眠りにつきました。

(続きます)