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出版局長だより  (第23回)

シアトル・ポートランド旅行記 その5

シアトル滞在も4日目となり、多少余裕も出て来たので、今日は思い切って、優先度を下位にしていたポール・アレンのフライング・ヘリテージ・コレクションという航空博物館を訪ねる事にしました。

ワシントン州エベレットにあるペイン飛行場にある博物館で、所在地はワシントン州エベレット市SW109 番ストリート3407番地(3407 109th St SW, Everett, WA )です。ベルビューから25.1マイル、34分です。

フライング・ヘリテージ・コレクション

フライング・ヘリテージ・コレクションは、地図で見ると、かなり遠方にあるように見えますが、フリーウェイに乗れば早く着けるのです。時間がかかるのは、むしろゴミゴミした市街地です。

9時少し前にベルビューのレッドライオンを出て405番を北上し、9時半には到着しました。飛行場に隣接する駐車場にはほとんど誰もいないので驚きました。早朝から、ここまで来る物好きはあまりいないということでしょうか。

博物館は2棟の格納庫からできていて、1つの格納庫のベージュ色の壁にはスピットファイヤ、ムスタング、メッサーシュミット、ポリカルポフ I-16(Истребитель шестнадцатый)、M4シャーマン、88mm砲の数メートル大の巨大な線画に加えて、何と日本の零戦の線画もあってびっくりしました。

バリバリという凄いエンジン音がするので見に行くと、滑走路でP-51Dムスタングがエンジンを始動させていました。どうやら、この博物館の飛行機は飛べるようです。70年以上前の飛行機が飛べるので大したものです。

10時開館を知らなかったので、30分ほど待ちました。開館すると中に入れました。英国のホーカー・ハリケーン、スーパーマリン・スピットファイア、ドイツのフォッケウルフ、メッサーシュミット190D-13, ME163、ロシアのポリカルポフ、イリューシン2、MIG29、米国のカーチスP-40、グラマンF6F、P51-Dムスタング、B-25、リパブリックP-47などの航空機に加えてM4A1シャーマン、T34/85、M55 8インチ自走砲、88mm砲などの野戦兵器が展示されていました。時々入れ替わりがあるようです。

日本海軍の零式戦闘機が3機(1機は不完全)展示されており、日本陸軍の1式戦闘機 隼が1機あったのには驚きました。この博物館所蔵の隼の写真はWikipediaにも載っています。でも何か変だと思いました。

何が変なのかしばらく分かりませんでしたが、後で、隼を深緑で塗りつぶし、零戦を日本陸軍機仕様風にまだらに塗装しているからだと気が付きました。隼は全部深緑に塗ると軽快というイメージには遠く、重い感じの飛行機になります。

ただし60年程前、私が子供の頃に見た隼や零戦の写真はほとんどモノクロでしたから、色については確かではありません。それに今ほど資料が豊富な時代ではありませんでしたし、自分が子供の頃に持っていたイメージとは違うという方が適切かもしれません。

零戦は再生に使用した内部の材料の問題で強度不足で飛べないのだそうです。ロサンゼルス郊外のチノの飛行場の零戦は飛べたのにと残念に思いました。

さて元々この博物館に行ってみたいと思ったのは、ポール・アレンの父親のケネス・アレンが砲撃を受けたドイツ88mm砲があるというので、確かめたいということでした。これについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』18頁に書いてあります。

88mm砲は3門あって、2門は防盾なし、1門は防盾付きです。明細塗装にはあまり詳しくないのですが、この88mm砲の迷彩塗装は正しいのかなと首をひねりました。プラモデル・ファンなら194X年アフリカ戦線でXX軍団の88mm砲の再現とか書いて欲しい所でしょう。

反対側にクラウス・マッフェイ社のハーフトラックの牽引車が飾ってありましたが、せっかくあるのだから、88mm砲につないで展示すれば良いのにと残念でした。

多額の資金が投入されたことはよく分かりますが、全体に細部の仕上げが今一つという印象です。UH-1イロコイスのロケット砲はパイプを寄せ集めただけでお粗末でした。今はいわば絵本風に貴重品をただ集めたという感じで、テーマとか中心の思想がはっきりしていません。残念ながら絞込みに欠けます。

しかし、ポール・アレンはお金もあるし、段々洗練されて行くでしょう。米国には途方もなく凝り性の人がいるので、そういう人を館長にしたらと思いました。こういう博物館の展示も完璧に持っていくには大変だなあと思います。

おみやげコーナーで航空機の絵のついたマグカップを10個買いました。今回の旅行で自分のおみやげはこれだけですが、「どうやって、日本に持って帰る気?」と家内にあきれられました。「何とか持って帰ります」とだけ答えました。

EMP博物館

帰途、おととい挫折したハイランズへ今度は北側から迫ってみようと思いました。うまく行けそうな感じでしたが、「ここより個人の所有地」と書いた看板のあるゲートがあって阻まれました。ある意味で当然でしょう。

そこでシアトル中心部のEMP博物館へ向います。シアトル市N 5番アベニュー325番地(325 5th Ave. N Seattle, WA)です。挫折地点から11.5マイル、自動車で28分です。EMPというのはジミ・ヘンドリクスを記念したExperience Music Project(実験的ミュージック・プロジェクト)の略です。スペース・ニードルのすぐ近く、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の建物のすぐそばにあるこの建物は、非常にエクセントリックな建物です。

EMP博物館を理解するにはポール・アレンの『アイデア・マン』(邦訳『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』)の第17章ジミ・ヘンドリクスを御読みになると良いでしょう。

1967年ポール・アレンは友達の家でジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスの『アー・ユー・エクスペリエンスド』というアルバムの『パープル・ヘイズ』という曲を聴いて一大衝撃を受けました。ポール・アレンは取りつかれたという程のジミ・ヘンドリクスのファンになり、必死にギターの独学に励みます。このことについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』20頁に簡単に書いてあります。

1970年9月18日、ジミ・ヘンドリクスは英国のロンドンのホテルで突然死します。27歳でした。飲酒しながらバルビツール系睡眠薬を飲んだのが原因と言われています。

1992年、ポール・アレンは、ジミ・ヘンドリクスの記念博物館を設立することを計画し、8年の歳月をかけて、EMP博物館を建設します。フランク・ゲーリーの設計で、ジミ・ヘンドリクスの音楽をイメージした直角と直線がいつもない、赤や紫の銀色の棟の集合体です。サイケデリックそのものです。1万3000平方メートルの土地はシアトル市が提供しましたが、総工費2億5000万ドルはポール・アレンが支払いました。私も入場することも考えましたが、予定の都合であきらめました。外から写真を撮るだけにしました。

『ジミ・ヘンドリクス スターティング・アット・ゼロ』

旅行前にジミ・ヘンドリクスの『アー・ユー・エクスペリエンスド』というアルバムのCDを聴いてみましたが、私はポール・アレンほどの衝撃は受けませんでした。これは多分、ポール・アレンと違って、ジミ・ヘンドリクスの登場当時に聴いていなかったからでしょう。

私もビートルズが出現した時は驚きました。『ワシントン広場の陽は暮れて』や『ヘイヘイポーラ』のような軽いポピュラー・ミュージックばかり聴かされていた私にとって、ビートルズの『ロックロール・ミュージック』や『ツイスト・アンド・シャウト』は衝撃でした。突如、大音量で不協和音が鳴り響き、大地をつんざき、空間を切り裂くような音楽が出現したのですから、びっくりしました。音楽の革命と言ってさしつかえなかったでしょう。

しかし、今の若い人がビートルズの初期の音楽を聴いても、私や私と同じ世代が感じたほどの衝撃を受けるかどうか疑問です。多分、私がジミ・ヘンドリクスに強い印象を受けず、EMP博物館に入場しなかったのも同じことだと思います。

ただ、外観だけとはいえ、実際にEMP博物館を見ると、何か私の心にも微妙な変化が生じました。そこで日本に帰って来てからジミ・ヘンドリクスに関する洋書を何冊かアマゾンから買い求めました。その中で『ジミ・ヘンドリクス スターティング・アット・ゼロ』が気に入り、読んで見ました。いろいろな実験的な試みを取り入れた本の作りが素晴らしく、興味深く読みました。ウラジミール・マヤコフスキーの詩集を彷彿させました。

この本の中身はほぼ全てジミ・ヘンドリクスが語った言葉や、文章でできています。その加工の仕方については編集者の力量でしょうが、並大抵でないものを感じました。

ビル&メリンダ・ゲイツ・ファウンデーション

ポール・アレンの建てた建物のそばには必ずビル・ゲイツの建てた建物があります。仲が良いのか、ライバル心か、そのいずれもあるでしょう。ビル&メリンダ・ゲイツ・ファウンデーションの建物は交差点に関してEMP博物館の反対側にあります。巨大な敷地に建てられた3棟の建物からなっています。ビル&メリンダ・ゲイツ・ファウンデーション(500 5th Ave. North Seattle, WA) と、ビル&メリンダ・ゲイツ・ファウンデーションのビジター・センター(400 5th Ave. N.Seattle, WA)です。

この建物群の敷地は非常に大きいのですが、さほど大きいという印象を与えません。これはシアトル中心部としては低層の5階建て(もしかすると、地上4階、地下1階なのかも知れません)なので、あまり目立たないのかと思います。

一方EMP博物館は、意図したかどうかは別としてスペース・ニードルを借景としているので、実際以上に大きく見えます。
ビル&メリンダ・ゲイツ・ファウンデーションについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』441頁に書いてあります。

コッブ・ビルディング

EMP博物館から南東に1.4マイル、自動車で8分の所にコッブ・ビルがあります。シアトル市4番アベニュー1301番地から1309番地(1301-1309 4th Ave., Seattle、WA)です。これが元々のワシントン大学の所在地です。 ワシントン大学は、後にポーテージ湾の北岸に移っても、ダウンタウンの土地と建物を手離さず、現在も毎年1000万ドル以上の高額の家賃収入を得ています。

このビルを見たいと思いました。ここはオフィス街の真ん中です。突然激しい雨が降ってきてすぐ止みました。コッブ・ビルディングについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』5頁に書いてあります。

シアトル・マリナーズの本拠地

シアトルはスターバックスの発祥の地でもあります。そこでついでにスターバックスの本社に行ってみることにしました。スターバックスの本社の所在地はシアトル市S ユタ・アベニュー2401番地(2401 Utah Ave. S. Seattle, WA)です。ここでお昼を食べることにしたのです。

コッブ・ビルからは南に2.2マイル、自動車で8分のはずでしたが、途中に野球場があって、人がたくさん出ていてなかなか先に進めずイライラしました。これがセーフコ・フィールドでシアトル・マリナーズの本拠地でした。あまり米国の野球には関心がなかったので、ここがそうだとは知りませんでした。

リアルネットワークスの本社

また一つ発見があって、リアルネットワークスの本社が途中のシアトル市S 1番アベニュー1501番地(1501 1st Ave S, Seattle, WA)にあるのを見つけました。リアルネットワークスはマイクロソフトにいたロブ・グレイザーが設立した会社です。こんな不思議な場所にあったのだと驚きました。

スターバックスの本社

やっとスターバックスの本社に着きました。ここは元々シアーズ・ローバックの倉庫だったと言います。赤い建物です。アマゾンにしてもスターバックスにしても成功する企業は本社の建物にはあまりお金をかけていないようで、中古の病院やら倉庫やらを利用しています。すべからく事業の成功の秘訣はやはり倹約でしょう。シアーズ・ローバックは独占禁止法の和解条項で、ショッピング・モールへの出典を禁止されています。物流倉庫を手放したのも何か関係があるかも知れません。

せっかく着いたのですがスターバックスの販売コーナーには、お腹にたまりそうなものがないので、他の人がみなそうしているように庭に何台も泊まっている御弁当屋さんの車からギリシャ風サンドイッチとコーラを選びました。変わった味でしたが満足しました。
スターバックスもせっかく訪れた人を離さないように、もう少し工夫すれば良いのにと思いました。建物自体の外観からして無理かなとも思います。

しかし、よく考えるとスターバックスの本社まで行って、本社のコーヒーを飲まなかったのは損をしたかなと反省しました。何回かシアトルでスターバックスのコーヒーを飲みましたが、もう味や香りに慣れ過ぎているのでマンネリ感があります。新しいものに出会いたいと思います。

ジョン・シャーリーの家

食事をしたので、再びメディナに戻ります。1990年までマイクロソフトの社長を勤めたジョン・シャーリーの家はメディナ市エバーグリーン・ロード2019番地(2019 Evergreen Point Road, Medina, WA)にありました。住所からは分かりにくいのですが、ビル・ゲイツの家から直線距離的には百メートルほどしか離れていません。ただコの字型に道をたどらないと到着できません。現在はバラク・オバマ大統領の所有になっているという話です。入口からは、中はほとんど何も見えません。時節柄セキュリティがうるさいだろうなと思います。

ネイサン・ミアボルドの家

ここから1.3マイル南に下ったメディナ市オーバーレイク・ドライブ7939番地(7939 Overlake Dr W, Medina, WA)にマイクロソフトで一時期、大活躍したネイサン・ミアボルドの家があります。白い門があるだけで、鬱蒼とした木で何も見えません。そんなものだろうと思います。

オーバーレイク ゴルフ&カントリー・クラブ

ここでゴルフ好きの家内がメディナで一番大きいゴルフ場のオーバーレイク ゴルフ&カントリー・クラブに行きたいと言い出しました。こんな退屈な旅につきあってくれているのだから、少しくらい希望を入れても良いだろう と思いました。
オーバーレイク・ゴルフ&カントリー・クラブは、メディナ市16番ストリートNE 8000番地(8000 NE 16th St. Medina, WA)にあります。私はゴルフはしませんが素晴らしい所だなと思いました。

セーフウェイとレイニアー・ビール

さて、順調に予定をこなしたので、ベルビューに戻り、スーパー・マーケットのセーフウェイで食料の調達をしました。必要なものに加えて、レイニアー・ビールを探すとあったので、半ダース買いました。タコマ富士として日本人の移民に愛されたレイニアー山の水で作られたらしいビールです。レイニアー山の水というのが嘘でも構いません。昔、シアトルにコムデックス・ツアーで来た時は、みんなで飲んだものです。思い出のビールです。

レッドライオンに戻って、早速頂きました。味は問題ではありません。なつかしい思い出を飲んだのです。

(続きます)