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出版局長だより  (第21回)

シアトル・ポートランド旅行記 その3

朝になって、今日はシアトル北部を探訪しようと決めました。朝食はマイクロソフトの2番目の本社の隣の、ビル・ゲイツ御用達のバーガーマスターのチーズバーガーとシェイクにしようと相談しました。行ってみると、早朝からやっていると思ったのに10時からと言われてがっかりです。

ある程度の食料は持っているので、そのままワシントン湖の浮橋を渡って、シアトル北部の探訪に行ってしまうことにしました。

ビル・ゲイツの祖父マクスウェル二世の家

最初に目指したのは、ビル・ゲイツの母方の祖父のマクスウェル二世の家です。ワシントン州シアトル市57番ストリート・ノースイースト6001番地(6001 NE 57th St, Seattle, WA)の付近だということはマクスウェル二世の1960年8月30日の葬儀の記録から、そう推定できました。ビル・ゲイツの家のあったローレルファースト地区の北側です。これについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』10頁に書いてあります。このあたりは素敵な家が多いです。あらかじめ調べてあったのと同じ家が見つかりました。

それから南に下ってローレルファースト地区で、ビル・ゲイツの生まれ育った家を探したかったのですが、これは手がかりが少なく無理でした。相田洋、大橋敦著『新・電子立国Ⅰ』日本放送出版協会刊に写真が載っています。でもこれだけの情報では番地まで割り出せません。現地で探すという方針を採りましたが、無理でした。

実はビル・ゲイツの生まれ育った家は、ワシントン州シアトル市41番ストリート5161番地(5161 NE 41st Street Seattle , WA)にありました。それが私に分かったのは、ワシントン大学を訪れて、いくつかヒントを得てからです。これについては後で述べることにします。

レイクサイド・スクール

欲張らず無理をしないという方針通り、次にビル・ゲイツが通ったレイクサイド・スクールを目指しました。1967年、ビル・ゲイツが12歳の秋、シアトル市ノースイースト1番アベニュー14050番地(14050 1st Avenue NE, Seattle, WA)にあった名門私立のレイクサイド・スクールの7年生に入学しました。日本の学制で言えば中学一年生です。

5番を北上して行きました。マクスウェル二世の家から8マイル、20分程度です。簡単に見つかり、中学校と高校を見ました。グラウンドが大変美しく整備されており、さすがにお金持ちの子弟の通う名門校と思いました。本当はビル・ゲイツやポール・アレンがテレタイプASR-33で大型コンピュータGE635のタイムシェアリング・サービスを利用したマカリスター・ホールを見つけたかったのですが、はっきり特定できず、外から写真をたくさん撮っておきました。ただ建物の配置図にもマカリスター・ホールはなく、改称されたのかなと思いました。

ビル・ゲイツ、ポール・アレンが母校に多額の寄付をしているので大変立派な校舎が並んでいます。レイクサイド・スクールについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』14-15頁に書いてあります。

Cキューブド

次はCキューブドです。1968年秋、シアトルのユニバーシティ・ディストリクト(ワシントン大学のある地区)のシアトル市ノースイースト12番アベニュー5003番地(5003 12th Ave NE Seattle, WA )に、コンピュータ・センター・コーポレーション(長過ぎる社名なのでCの3乗すなわちCキューブドと略称されていました)というタイムシェリング会社ができました。Cキューブドは、ワシントン大学のコンピュータ・センターの専門家4人が地元の資本家の支援を受けて設立した企業でした。

レイクサイド・スクールからは5番を南下して5.7マイル、自動車で10分です。バスだと22分かかります。ビル・ゲイツもポール・アレンもバスで通ったのだなと思いました。

Cキューブドは、DECの大型コンピュータPDP-10の受け入れ試験のために、人手を求めていました。コンピュータにもっと触りたいというビル・ゲイツとポール・アレンにとっては絶好の機会でした。2人はCキューブドに入り浸りになります。私は立派なビルを想像していましたが、グーグルのストリート・ビューで見ると、平屋建ての四角い建物でした。現在はYMCAが入っています。壁にYMCAと緑色の文字がはまっています。実際に行かなくてはと思っていたので行ってみました。

写真を撮っていると、品の良いおばあさんが出てきて、話しかけてきました。ここにCキューブドがあったことも、毎日ビル・ゲイツやポール・アレンが通っていたことも、ほとんど知らないようでした。パソコンの歴史にとって重要な建物ですから標識くらい立てておけば良いのにと思いました。半世紀近く前というと、全て忘れ去られてしまうのかもしれません。Cキューブドについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』21頁に書いてあります。

ビューリッジ小学校

レイクサイド・スクールに入学する前、ビル・ゲイツは、シアトル市ノースイースト50番アベニュー7047番地(7047 50th Avenue Northeast, Seattle)にあったビューリッジ小学校(Viewridge Elementary School)に入学しています。ここも行ってみようということになりました。cキューブドからは、3マイル、自動車で11分です。ふたたびローレルハーストに戻りました。この近くにビル・ゲイツの生まれ育った家があるに違いないとは思いましたが、どうにもなりませんでした。
ビューリッジ小学校については『ビル・ゲイツ Ⅰ』11頁に書いてあります。

ワシントン大学構内へ

次にワシントン大学へ向いました。ともかく、メアリー・ゲイツ・ホールとポール・アレンの父親の勤めていた図書館を探すのが目的です。大学の中の道は、カーナビを使っても、さっぱり分かりません。『シリコンバレー』で書きましたが、スタンフォード大学で経験したのと同じです。やはり、こういう場合はガイドを頼めば良かったかなと思いますが、苦労した分、印象に強く残りました。

メアリー・ゲイツ・ホール

何度か迷った挙句、大学の中心部にあるメアリー・ゲイツ・ホールにたどりつきました。新しい建物と思い込んでいたのが失敗でした。古い建物なのです。1991年、ビル・ゲイツはワシントン大学に1200万ドルを寄付しました。これによって医学部の中に分子バイオテクノロジー学科ができました。

1994年に母親のメアリー・ゲイツが亡くなると、ビル・ゲイツは1995年1000万ドルを寄付しました。ワシントン大学は総額3500万ドルを集めて旧物理学科の建物を増改築し、メアリー・ゲイツ・ホールと改称しました。メアリー・ゲイツについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』12頁に書いてあります。

またシアトル市はメアリー・ゲイツの業績をたたえて、NE45番ストリートとNE41番ストリートの間のユニオン・ベイ・プレースNEという道路をメアリー・ゲイツ・メモリアル・ドライブと改称しました。この道路はビル・ゲイツが自宅からワシントン大学へ通った道路であることから命名されました。

すると、ビル・ゲイツの生まれた家はNE41番ストリートを、まっすぐ東に行ってワシントン湖にぶつかるあたりにあるはずです。 そこはワシントン州シアトル市41番ストリートNE5161番地(5161 NE 41st Street Seattle, Washington)ということになります。ここからNE45番ストリートに沿った子供病院付近のバス停留所からCキューブに通ったという話とも辻褄が合います。

ポール・アレン図書館

ワシントン大学の中心部にはメアリー・ゲイツ・ホールがありますが、その裏側にアレン図書館があります。大きな古い建物です。ポール・アレンが父親のケネス・アレンの思い出に多額の寄付をしました。その結果、アレン図書館となりました。ポール・アレン図書館ではなく、アレン図書館です。これも新しい建物でなく、名前だけ変更しています。ケネス・アレンについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』171頁に書いてあります。

メアリー・ゲイツ・ホールに関してアレン図書館と対称的な位置にコンピュータ・サイエンスのためのポール・アレン・センターがあります。二人とも張り合ってすごい寄付をしているのだろうなと思います。ポール・アレン・センターについては初めて知りました。

ゲアリー・キルドールの墓詣で

MS-DOSの原型として有名なCP/Mを作った悲劇の英雄ゲアリー・キルドールの墓は、シアトル市ノース・オーロラ・アベニュー11111番地(11111 Aurora Ave. North Seattle, WA)のエバーグリーン・ワシェリ墓地にあります。Waterway 1からは約7マイル、自動車で20分です。ゲアリー・キルドールのお墓参りをすることにしました。再び5番インターステート5を北上します。ここで家内から苦情が出ました。あちこち行ったり来たり無駄な動きばかりしているというのです。たしかにそうです。レイクサイド・スクールに行った時に見てくればよかったのです。

エバーグリーン・ワシェリ墓地はすぐみつかります。墓地の中の道路を自動車で走ってはいけないと思ったので、駐車場に車を停め、家内に待っていてもらいました。お墓の正確な場所はPlot: Section 7, Lot 0056, Placement F, Grave 3なのですが、特に目だった標識はなく、困りました。役に立つかどうか分からないとは思ったのですが、インターネットから略図をダウンロードしておきました。この略図がなかったらたどりつけなかったでしょう。かなり正確な地図で、少しとまどったものの、それらしい場所にたどりつきました。

問題は墓碑が芝生に平らに埋め込んであることで、日本のように墓石が立っているわけではないので、どこにあるか分からないのです。それに芝生に入ってよいものか悩みました。両手を合わせてから芝生に入り、墓碑を探しました。なかなか見つからず、諦めようとした時、ふとキルドール(KILDALL)という文字が目に入ったような気がしました。あれと思って、近づくと、ジョーゼフ・キルドール(1864-1954)とメアリー・キルドール(1871-1957)の墓碑でした。木が近くに立っているのと水道が目印です。

少し下がると、3つキルドール家の墓碑が並んでいます。キャプテン・ハロルド・キルドール(1894-1985)、ゲアリー・アーレン・キルドール(1942-1994)、キャプテン・ジョーゼフ・キルドール(1916-1987)の3つです。全ての墓碑に左側に錨の絵が同じデザインで刻まれています。ゲアリー・キルドールの墓碑だけに右側にフロッピー・ディスクが刻まれています。

キルドールの家系は次のようになっています。ノルウェイ系です。

・ジョーゼフ・キルドール(1864-1954)
・キャプテン・ハロルド・キルドール(1894-1985)
・キャプテン・ジョーゼフ・キルドール(1916-1987)
・ゲアリー・アーレン・キルドール(1942-1994)、

ゲアリー・キルドールの祖父のキャプテン・ハロルド・キルドールは、人口統計調査によれば1894年、アイオワ州郡クラリンダ・ウォード2番地(Clarinda Ward 2, Page County, Iowa)に生まれています。ところが1920年にはアラスカ州シトカにいるのです。記録がないので断定的なことは言いにくいのですが、シトカでは金が出て金鉱堀りで栄えました。したがってジョ-ゼフ・キルドールやキャプテン・ハロルド・キルドール、キャプテン・ジョーゼフ・キルドールは一攫千金の金鉱堀り達にシアトルから物資を運ぶ船長だったように思われます。

1930年には、人口統計調査によれば、キャプテン・ハロルド・キルドールは、シアトルのキング郡にいることが確認できます。ただキング郡は広すぎるのです。どこにいたかの一つのヒントはゲアリー・キルドールがクイーン・アン高校に通っていたということにあるでしょう。クイーン・アン高校はゲイラー・ストリート201番地(201 Galer Street, Seattle, WA)にあります。このクイーン・アン地域というダウンタウンの北西にあり、シアトルでも最も高台にある地域に近いどこかに航海術の学校を開いたことは間違いないと思います。
ゲアリー・キルドールについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』143-199頁に書いてあります。

トラフ・オー・データ

1974年、ビル・ゲイツ、ポール・アレン、ポール・ギルバートはトラフ・オー・データという交通量解析用のコンピュータの会社を作ります。会社所在地はワシントン州シアトル市ノースウェスト・リッチモンド・ドライブ19506番地(19506 Richmond Beach Dr. NW Seattle WA 98177)です。ここはポール・ギルバートの自宅の住所でした。ゲアリー・キルドールのお墓からさらに北西に6.3マイル、自動車で17分です。本当に海岸沿いの個人の家でした。

MITSのエド・ロバーツはここにビル・ゲイツとポール・アレンがいるものと思って、アルバカーキから電話した所、話が通じなかったという逸話があります。トラフ・オー・データについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』32-38頁に書いてあります。

ハイランズ

クリス・ラーソンは、1957年生まれで、レイクサイド・スクールを卒業した後、プリンストン大学に入学し、経済学とコンピュータ・サイエンスを勉強しました。学位がどちらだったかは、はっきり分かりません。1981年にプリンストン大学を卒業すると、マイクロソフトに正式に入社しました。

入社の条件は株式のオプションで、クリス・ラーソンはマイクロソフトの株式の0.5%を要求しました。クリス・ラーソンは、56ドルを支払い、56600株を取得したといいます。株式の分割によって持株は増加し続け、クリス・ラーソンは、巨額のお金を手にしました。

その一部の570万ドルでクリス・ラーソンは、ワシントン州ショアライン郡オリンピック・ドライブ97番地(97 Olympic Dr., Shoreline, WA)に土地を買いました。ハイランズと呼ばれる地域で、シアトルでも有数の金持が集まる地域です。ここに家を建て、飾り立てるために1億6千万ドルのお金を使いました。チューダー朝様式の豪邸で、グーグルの航空写真で見るとビル・ゲイツの家よりも立派に見えます。

内部までは見えませんがウォーター・フォードのクリスタル・グラスに、ティファニー製の窓、金で装飾されたシャンデリアや由緒ある絵画など途方もなく贅沢だといわれています。自動車も140万ドルの1911年製ロールスロイスのシルバー・ゴーストなど贅沢の限りを尽くしています。慈善事業にはむろん1億5千万ドルを寄付しています。

クリス・ラーソンは、シアトル・マリナーズという野球のチームに出資したことでも有名です。野球ファンの方なら良く御存知でしょう。そちらの方で有名で、マイクロソフトにいた事などは知らない人の方が多いでしょう。
クリス・ラーソンについては『ビル・ゲイツ Ⅰ』87頁に書いてあります。

ハイランズにはクリス・ラーソンのほかにもニック・ハナウアーなどシアトルの名士達が住んでいます。日本人にも分かりやすい所では、ウィリアム・ボーイング(ボーイング社の創立者)の邸宅があり、、カール・セーガン(宇宙物理学者)、ジョン・マッコー(マッコー・セルラー電話会社の創立者)などが住んでいます。

ニック・ハナウアーの住んでいる邸宅はシアトル市カスケード・ドライブ179番地(179 Cascade Drive, Seattle, WA)にあることが分かっています。日本でグーグルの航空写真で調べてきました。
『アマゾン・コムの野望』を書いた時は、ニック・ハナウアーの調査が足りなかったと思います。航空写真で見ると、深い森に囲まれているので難しいとは思いましたが、行けるものなら行って見たいと思いました。

距離的には、トラフ・オー・データから1マイル以下なのですが、、カーナビで見ると6マイル、16分です。大きく回りこまないと行けないのです。シアトル・ゴルフ・クラブという所に到着すると、そこからは監視所があってゲートがあり、一般の人は通過できないようです。やはり高級住宅地というものはそういうものだろうと思いました。クリス・ラーソンの邸宅もニック・ハナウアーの邸宅も航空写真で見てきたから、まあ、いいと諦めました

ポール・アレンの育ったウェッジウッド

ハイランズをあきらめて、再び5番で南下し、ローレルハーストに向うことにしました。途中でウェッジウッドという住宅地を見かけました。あれ、これってポール・アレンの生まれ育った地域ではないかと驚きました。ただし残念ながら正確な住所が分かったのは帰国してからです。雰囲気は良く分かりました。同じような小さな家が並んでいる閑静な住宅地です。中流階級向けの建売り住宅地だったのでしょう。ここは今でも多分ポール・アレンの生まれ育った時代の雰囲気を残していると思います。

ポール・アレンは、ワシントン州シアトルNE28番アベニュー7016番地(7016 28th Ave. NE, seattle, WA)にある家で育ちました。ポール・アレンの自伝『アイデア・マン』の邦訳24頁には、シアトル市のウェッジウッドに住んだと書いてありますが、厳密に言うと、行政区としてのウェッジウッドより少し南です。ウェッジウッド地区の南端より50メートルほど離れています。

『アイデアマン』の邦訳26ページにあるパーキンス夫人の保育園については分かりませんでした。ここからポール・アレンが転校したラベンナ・スクールは、正式にはベスト・ラベンナ・エレメンタリー・スクールといい、ワシントン州シアトルNE20番アベニュー7526番地(7526 20th Ave. NE Seattle, WA)にあります。ポール・アレンの家から車で8分、歩いても14分程度の所にあります。

12歳になってラベンナ・スクールを卒業したポール・アレンは、レイクサイド・スクールに進学しました。 レイクサイド・スクール時代のポール・アレンの家から、ビル・ゲイツの家に行くには35番アベニューNEをまっすぐ南下し、NE41番ストリートを東に進むだけだ。自動車で11分です。

ウォーターウェイ1の直近の家

結局、1時間半ほど走って、ローレルハースにあるマイクロソフトのウィンドウズNTの大物だったジム・オールチンの家を目指しました。ところがローレルハーストの中に工事中の場所があって、通過できません。やむなく引き返しましたが、実は日本で研究してきたウォーターウェイ1が突然、目に入りました。ただし関心のない人にはつまらない所です。家内は私が感激しているのを理解できなかったかと思います。無理もありません。何もない更地で、ごく小さな桟橋があるだけです。私はこの場所を調べるために相当の時間と労力をつぎ込もました。

ビル・ゲイツはアルバカーキから帰って、すぐの頃はシアトル市内にアパートを借りていたようです。また実家にもいたといいます。その後、1983年にビル・ゲイツは、ローレル・ハーストに4400平方フィートの豪邸を88万9千ドルで購入しています。この家はウォーターウェイ1の直近にあり、ワシントン州シアトル市43番アベニューNE3502番地(3502 43rd Ave NE Seattle, WA 98105) 付近でした。

チャールズ・シモニーだと思いますがヘリコプターで飛んできて空からピンポン玉の雨を降らせたという逸話があります。環境訴訟でもめた関係で、関係書類がたくさん見つかります。ウォーターウェイ1については、『ビル・ゲイツ Ⅰ』437頁に書いてあります。

ジャック・シクマから買った謎の家

1993年、このローレルハーストの豪邸を妹に譲った後、ビル・ゲイツはメディナに建築中の豪邸の近くにあったシアトル・スーパーソニックスの有名選手ジャック・シクマの家を800万ドルで買いました。現在のジャック・シクマの家はメディナにあり、不動産関係の100ページほどの登記書類で場所も分かりますが、ビル・ゲイツに売った家の所在が分かりません。ワシントン湖東岸のこの家は4つのベッドルームを持つ6000平方フィートの家であり、エバーグリーン・ポイント・ロードにあったことまでは分かります。

登記書類によれば、ジャック・シクマはこの家を1986年に200万ドルで買いました。ジェームズ・ウォーレスの『オーバードライブ』によれば、メディナの豪邸から半マイル(0.8キロメートル)ほどの所にあったといいます。
また、この家はビル・ゲイツからジェラルド・グリンステインという人に売却されているとあります。調べてみますと、彼はまた第三者に売却しています。

ビル・ゲイツが建築していた現在の豪邸はメディナの73番アベニュー1835番地(1835 73rd Avenue NE, Medina, WA)にあります。そこから近いということで調べてみました。半径0.8キロメートルの円を描いてみましたが、手がかりが少なく、ワシントン湖東岸には北と南の二つの候補があって難しいです。

デイビッド・バンクの『ブレイキング・ウィンドウズ ビル・ゲイツはいかにしてマイクロソフトの未来を模索したか』は、もう少し具体的に書いています。
「ゲイツは依然としてワシントン湖の東岸の船着場に近い優美なトレリスをそなえた古びたケープ・コッドに住んでいた。そこは昔、シアトルからのフェリーが到着していた所です。

何度か試してみましたが、ケープ・コッドは検索にかかりません。それよりシアトルからのフェリーが到着していた所がヒントになると思って調べてみました。するとここはホートン(Houghton)という場所に近く、昔は海軍の艦船まで建造していたといわれていますが今はなくなってしまい、現在はキャリロン・ポイント(Carillon Point)となっているとありました。ここは昨日行った所で、半マイルではなく、4.3マイルあり、自動車で12分の所です。

資料間に整合性がなく、まるで邪馬台国の所在地を研究しているような感じです。いまだ研究中です。

ベルビューでの買物

再び、ワシントン湖を渡ってベルビューに戻りました。ユニバーシティ・ブックストアで、ワシントン大学のロゴの入ったマグ・カップを3個買いました。レッドライオンでコーヒーを飲むのにマグカップが必要だったからです。ガラスでも紙でもコップでコーヒーは飲みたくありません。
プラスチックのナイフやフォークも嫌いで、旅行にはちゃんと金属のナイフとフォークとスプーンは持って来ています。マグカップは重いので現地調達と決めていました。

あとショッピング・モールでカメラとパソコンをつなぐUSBケーブルを買いました。米国に持ってくるのを忘れました。iPhoneで写真を撮るのが今の時代の流行でしょうが、どうも私にはなじまず、キャノンのカメラを2台持って来ています。ハンバーガーも買ったような記憶があります。

ショッピング・モールから出ると、家内が「どこかでセーフウェイの看板見たわよね?」と言いました。そう言えば昨日、見たような気がします。そこで二人で注意して探しました。ちょっと分かりにくい感じでしたが、ありました。32年前に南カリフォルニア大学に客員教授として留学していた時、スーパー・マーケットのセーフウェイには、家族でよく買物に行きました。セーフウェイで野菜も果物もパンもハムもレトルト食品も全部揃いました。これで食料と補給の問題は全て解決です。ほっとしました。昨日の苦戦は何だったのかと思います。

レッドライオン

少し頑張り過ぎたので、レッドライオンに戻って、部屋で食事をした後、午後は外出しないことにして、事務的な作業をすることにしました。まず明後日のワシントン湖の周遊観光船の予約をしました。夏は団体の予約が多いらしく込んでいましたが、奇跡的に明後日の予約が取れました。

次はレンタカーのニッサンのセントラ(SENTRA)のマニュアルのダウンロードです。時々、雨が降ってくるとウインドウ・シールド・ワイパーを使いますが、このワイパーの操作ほど、自動車によって違うものはないと思います。洗浄液を出すウォッシャーの使い方がどうしても分かりませんでした。そこでマニュアルが必要でした。インターネットはありがたいと思います。簡単に400ページのマニュアルがダウンロードできました。手前に引けば良いのだと分かりました。分かればそれきりですが、分からないと閉口します。

もう一つはガソリンの給油口の蓋のオープナー(Fuel Filler Lid Release)のありかです。米国の州によっては、自分で給油しなければなりません。ワシントン州は自分で給油、オレゴン州は自分では給油できません。給油口をの蓋を開けられないと、給油できません。これは分からないと本当に閉口です。カリフォルニアのバークレーのガソリン・スタンドで困ったことがあります。

マニュアルを読んで、左側のインスツルメンタル・パネルの下と分かりました。そろそろ給油しなければならないので、説明をよく読みました。

このマニュアルをパラパラと見て、よくこんなに複雑な機械を、マニュアルも読まずに操縦できると家内の腕に感心しました。もっとも読んでいたら、とてもこんなに複雑な機械は運転できないと思います。いくつか役に立ちそうな機能はメモしました。

また、ベリンジャーを飲んでいつの間にか寝てしまいました。

(続きます)