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出版局長だより (第19回)

シアトル・ポートランド旅行記 その1

聖地シアトル詣で

出版局長の脇英世です。また何とも長い間、出版局長だよりをさぼってしまいました。

この間、9月20日に出版された『ビル・ゲイツ Ⅰ』という本を書いていました。Ⅰが付くのはⅡが計画されているからです。この本を書きながら、無性にビル・ゲイツのふるさとであるシアトルに行ってみたくなりました。しかし、いつもすぐに「行こう」と言ってくれる家内がなかなかOKしてくれないのです。

理由は簡単で、2人が歳をとったから不安だというのです。トランクはもちろん、機内持込みのバッグも荷物をぎゅうぎゅうに詰めると、1人では棚に持ち上げられません。夫婦2人でやっと棚に押し込めます。

見かねて、米国人のスチュワーデスが「よいしょ」と入れてくれるとフーンと感心してしまいます。昔は私も力だけはあったのにと残念に思います。

また家内は、運転は上手ですが、私をナビゲータにするのは不安だというのです。たしかに米国では私はカー・ナビゲーション・システム(以下カーナビ)を操作したことはありません。初めて出会うカーナビを操作するのは大変かも知れません。

では、米国車に搭載されている標準的なカーナビのマニュアルをダウンロードして研究すると言っても、あまり信じてもらえません。私はひどい方向音痴だからです。ただ今回初めて気が付いたのですが、私ほどひどくはないものの家内も少し方向音痴です。

子供達はみなそれぞれの理由で忙しく助力を期待できません。そこでいつしかシアトル行きはやめようという事になりました。

数ヶ月執筆に専念していると、家内が見かねて「やはりシアトルに行こう」と言い出しました。今度は私が「やめよう」と言いました。グーグルの航空写真やストリート・ビューで見れるのだからシアトルに行かなくても問題はないと主張したのです。

それにシアトルで写真を撮っても『ビル・ゲイツ Ⅰ』には間に合いそうにありません。『ビル・ゲイツ Ⅱ』に掲載することになってしまいます。8月はお盆休みがあり、印刷所が動かないし、9月はシルバー・ウィークがあって、配本を急がなくてはならないので、『ビル・ゲイツ Ⅰ』に最終的に写真を組み込めるのは、8月上旬です。ところが出発そのものが8月8日なので無理だと思ったのです。

それでも家内が行こうと言ってくれるので、行く事にしました。

まず飛行機会社の選定です。成田発は疲れるので、羽田発にしようという事になりました。直行便となるとデルタ航空ということになります。デルタ航空というと、IBMのドン・エストリッジの乗ったデルタ航空の事故を思い出して嫌な気持になりました。

また現在はデルタ航空の路線ですが、昔はノースウェスト航空の路線です。ノースウエスト航空にはひどい目にあったことがあります。私の乗ったボーイング747は、シアトル空港で離陸した後、黒煙を吹いて炎上しました。緊急着陸後、命からがらシューターで逃げ出した経験があります。この時の経験は講談社文庫の『パソコン世界の嵐』に書きました。

どちらの航空会社も、嵐が来ようと整備に多少問題があろうと、必ず定時に飛び立ちます。これは約束の時間には絶対に遅れることのできないビジネスマンにとっては、まことに頼もしいことですが、ふつうの人には不安な一面もあります。でも成田は遠く、多少心配でも羽田発でデルタ航空に乗ることにしました。

ホテルはシアトル市内でなく、ベルビューのレッドライオンにしました。ここは昔、マイクロソフトが会議などによく使用したホテルです。このホテルはマイクロソフトがニューメキシコ州のアルバカーキからワシントン州に戻った時の初代本社、次の本社、そして現在の本社に近いので、写真を撮るのに便利です。

それにスティーブ・バルマー、スコット・オキ、チャールズ・シモニー、ネイサン・ミアボルト、ビル・ゲイツの現在の邸宅にも近く、取材に便利なので選びました。レッドライオンは、ホテルと言っても実際はモテルです。

ホテルについては、インターネットで、うまく予約がとれました。5日間ベルビューのレッドライオンにいて、次の3日間、300キロ南のオレゴン州ポートランドのエアーポート近くのレッドライオンに泊まることにしました。そして再び北上してシアトルに戻り、ふつうの観光旅行をするつもりでした。

戻ってきたシアトルで再びレッドライオンにしようとしたら、「全部モテルは嫌だ」と家内から強硬な抗議がでました。費用の問題からレッドライオンにしたのですが、全く得体の知れない旅行につきあってもらう以上、もっともだと思い、最後の2日間はシアトル市内のシェラトン・ホテルにしました。

飛行機とホテルの予約が取れると、iPhoneの問題が浮上しました。レンタカーのカーナビだけでは不安なので、iPhoneのナビも使おうという事になりました。最後の校正で忙しく、「iPhoneの機能なら何となく分かると思うよ」と嫌がる私を家内が無理やりNTTドコモに連れて行き、説明を聞かせました。

「あっ」と思ったのは、NTTドコモが「海外での動作は保証できないので、動作に関してはアップルに行って聞いてください」と言うのです。安全サイドを取ったのでしょうが、少し不安になります。

そんなと思いましたが、アップルに行きました。「完全に保証するものではありませんが、欧州では使えましたから、米国でも大丈夫でしょう」と言われました。iPhoneのどのタイプは、米国のどの地域のどの電話会社の領域ではiPhoneのナビはOKとか、きちんとマニュアル化されていないのかなと思いました。

誰でもするように、シアトルの観光案内書と歴史書と写真集は何冊も詳しく読みました。またシアトルとポートランドについてのランドマクナリーの地図を米国アマゾンに注文しました。ところが、なかなか届かないのでイライラしましたが、やっと手にはいりました。この地図は意外にも大変役に立ちました。ただワシントン州のベルビューやレドモンドや、オレゴン州のマクミンビルなどの地図は入手できず、現地で入手することになります。

取材地のアドレスは、私の本の原稿から、取り出して印刷し、それを葉書サイズのカードに貼りました。英文のアドレスを入れておいたのが非常に有効でした。葉書カードは50枚程度になりました。当初の目標は50箇所程度ということになります。この葉書カードは梅棹先生の『知的生産の技術』の京大型カードを模したものですが、これが現地で大変役に立ちました。

出発前に葉書カードで、目標を見ながら、壁に貼ったランドマクナリーの大きな地図に赤い丸のマークを貼りこんで行きました。大きな地図は、ふつうのプリンター出力では無理です。つなぎ合わせというのはうまく行きません。私は巨大なプリンターは持っていません。それに役に立つ大きな地図を出すには巨大なプリンターだけでは駄目で、巨大なディスプレイが必要だと気がつきました。

羽田空港へ

北米路線ではトランクは1人2つまで許されていますが、2人で4つは重くて無理だろうということになり、トランクは2人で2つ、機内持込みのバッグを2つに制限しました。

羽田空港には順調に到着し、デルタ航空のカウンターでの受付も無事に終わりました。すると、無作為抽出ですが、質問に答えてくださいと言われました。若い男性が近づいて来て「頼まれたので質問します」というので、気楽に答えていると、どうも変なので「誰に頼まれたのですか?」とたずねると、「TSAです」というのです。何のことかと思っていると、「搭乗前に検査があります」というのです。おかしな話で、聞いたことがないと思いました。

こういう場合は、誤解を避けるためにも「羽田空港のセキュリティ(警備係)の**です。米国運輸保安庁(TSA)の依頼で、無作為抽出で質問に答えて頂きます」とかなんとか言って欲しかったと思います。またそういう立場の人は、できればセキュリティの制帽くらいはかぶって欲しいし、写真入りの身分証明書も首から下げてきちんと提示して欲しいと思います。

搭乗口で男の人が検査を要求してきました。私が「さっき誰だか自分の身分を名乗らない人に、そんな事を言われました」というと、「それは僕です」と言うのです。苦笑しました。すでにセキュリティ・チェックを受けているのに上着を脱げとか、ポケットを探ったり、靴を脱げとか、機内持ち込みの荷物を開けて、試薬のような物をふりかけて検査をしています。いくらなんでも行き過ぎだと思います。

それが終わると、今度はデルタ航空の社員が、「あなたのトランクにリチウム電池が入っているのを見つけましたので、開けて出してください」と言うのです。私は「ここにトランクはありませんし、リチウム電池なんか入れていません」と返事をしました。

すると「トランクは、ここに持ってきてあります」というのです。これにはあっけにとられました。電子辞書の補充用のアルカリ電池をリチウム電池と勘違いして、トランクを搭乗口まで持ってきてしまったのです。

トランクを1つだけ別扱いされると、行方不明になる事件が多く、北米路線では半年かかっても1年かかっても出てこなかったと言う話を何度も聞いたことがあります。さすがに我慢していた私も気を悪くしました。

それに口には出せなかったのですが、不快に思っていた事件が前日の2015年8月7日に起きていました。テネシー州ナッシュビルの空港で、デルタ航空スカイウエスト便CRJ-200機が炎上事故を起こしていたのです。

前日テレビで派手に火を吹いて炎上している飛行機の様子を見ていました。これはさすがに家内に話せず黙っていました。そこへトランク事件ですから、不快な気持を隠せませんでした。旅行をやめようかなとさえ思いました。

でもともかく搭乗して飛び立ちました。ずっと昔のことですが、マイクロソフトの当時のF会長とノースウエスト機でシアトルに御一緒したことがあります。F会長は私がシアトルで炎上事故に遭遇したということを知っていました。

F会長も私も離陸後しばらくは沈黙していました。豪胆な彼ですら安全圏に入ると「よかった。何もなかったですね」とぽつりと言ったくらいです。だから家内には前日の事故は黙っていました。

そこまで偶然で、たまたま嫌な事が続いただけで、私は神経質になり過ぎているのかなと反省しました。

でも、そうでもなかったようで、当日の2015年8月8日、ユタ州ソルトレーク・シティに向かっていたデルタ航空1889便が激しい雷雨の中で雹に襲われ、操縦席の窓ガラスにひびが入り、機種部分が損傷するという事故が起きていました。よく墜落しなかったなと思います。
ベルビューのホテルに着いて、ふとテレビを見た時、ぞっとしました。2日続けて事故かとショックでした。これもかなり後まで家内には黙っていました。

シアトル着

それでも飛行中は何事もなく、シアトルのシータック空港に無事到着しました。まずiPhoneが動作してくれるか心配でした。ちゃんと動作してくれてほっとしました。コンピュータを生業(なりわい)としていると、どうしてもコンピュータのような不完全な機器を100%信じる気になれないのです。動作して当たり前といえばそうですが、良かったと思いました。

トランクは出てくるかとひやひやしていると、うるさく文句を言ったせいか、それとも一番後に入れられたせいか、知りませんが、一番最初に出て来ました。トランクに入れたパソコンやカメラなどの機器がなくては取材は成立しません。少しは運もついてくるものだとほっとしました。

次はレンタカーです。空港でレンタカーに乗れると思っていたのに、バスに乗れと言われて、ちょっと離れたビルに連れて行かれました。あっと驚いたのは、レンタカー会社のハーツのカウンターの前には何十人も行列していたことです。受付の米国人の係員の手際の悪さで1時間もかかりました。本当は家内は特別会員になっているので、並ぶ必要がなかったのだそうですが、初めてでは、そんなことは分かりません。

それからトランクなどの荷物を台車に載せて別棟の建物に自動車を引取りに行ったのですが、地下の駐車場に行くエレベーターのボタンの押し方が分からなくて閉口しました。でも、この時の経験は後で役に立ちました。

たどりついた駐車場には誰もいなくて、ただ表示が出ているだけで何の説明もありません。ハーツの予約では自動車のメーカーや車種は指定出来ないので、フルサイズとだけ注文してありました。行って見るとジープ社製の自動車でした。ところがこの自動車にはカーナビがついていないのです。家内が憤慨してカウンターに戻り、日産の車に取り替えてもらいました。

何とか乗り込みましたが、見たことも触ったこともない車を運転する家内は大変です。そして頼りないナビゲータの私が道順を探しながら、何とかベルビューのレッドライオンに到着しました。レッドライオンはベルビュー市メイン・ストリート11211番地(11211 Main St, Bellevue, WA)にあります。

やれやれと思っていると、ここは2階建てですが、エレベーターもエスカレータもないのです。そして夜になっていたせいか、荷物を運んでくれるベル・キャプテンもいないのです。割り当てられた部屋は2階の部屋で、荷物を自分で階段を通って上げるという最悪のシナリオになりました。

2人で協力して、なんとか運び上げようと相談して、家内が先に部屋のドアーを開けに行くと、磁気カードが動作せず、取替えに行きました。その間、何とか頑張って私1人でトランク2個を運びあげました。レッドライオンの書き込みを見ると、私達以外にも困った米国人もいるようです。安ホテルなのだから仕方がありません。

部屋はもう少し手を入れるときれいになるのにと残念でした。それでも電子レンジ、冷蔵庫、コーヒーポット、アイロンが備わっていて助かりました。部屋の前のベンダーマシンから氷をもらってきて、軽いつまみでウィスキーを飲んで、バタンと寝てしまいました。年寄りにはきつい旅です。でも何とかベルビューには到着したのです。

(続きます)