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出版局長だより (第11回)

出版局長だより 第11回

出版局長の脇 英世です。このほど東京電機大学出版局から10月30日刊行予定の『 シリコンバレー スティーブ・ジョブズの揺りかご 』の校正に追われていましたので、しばらく出版局長だよりをお休みさせて頂きました。

シリコンバレー

多少、張りきって書きすぎてしまい、ページが増えすぎてしまったので、ハインリッヒ・ヘルツやグリエルモ・マルコーニの業績に関する部分をはじめとして100ページほどカットしました。写真や図や地図も大幅にカットして何とか500ページ台にまとめました。

ただ軽く読める部分はここで御紹介させて頂きたいと思います。

まずp.67の「夕方、長い一日を終えて、サンフランシスコに戻った」に続く部分です。

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中華料理店の変貌
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夕食は家内と次男の提案で中華料理を食べようということになった。

私は他の料理は、いざしらず、こと中華料理ということになると、ミシュランやザガートなどのガイドブックは必ずしも良く分かっていないと感じているので二人にまかせた。ずいぶん苦労していたが、ホテルの従業員に聞いて、これなら絶対という所を見つけてきたと言う。湖南料理にしたという。どうも想像力が働かない。米国人に中華料理が分かるのかなあと思った。

唯一なかなか良いと思った情報は、中華街の中でもタクシーで行けるという情報だった。それは今まで知らなかった。大した距離ではないが、今の私は、あそこまで歩くとちょっと腰が痛くなる。杖が必要だ。

タクシーが目的の店の少し手前で止まったので、変だなと思ったら、道路にタクシーが詰まっていてもう進めないから、ここで降りてくれということだった。お店まで少し歩いて行った。驚いたのはお店の前に行列ができていることだった。中もものすごく込んでいる。予約は受けないとのことだったから、ある程度は予想していた。しかし、一体どのくらい待てば良いのかと聞いてもらったら、40分ということだった。米国人は食べたいもののためなら、1時間でも2時間でもじっと待つと運転手さんに聞いたが、私は日本人だ。そんなに待てない。これは駄目と思った。

ふと、コムデックス帰りのツアーで何回か行った、すぐ近くの中華料理屋を思い出した。皇帝酒家とかなんとかいったはずだ。あそこはチップを切ったりして、多少トリックは使ったが、いつも予約なしで入れた。クリスマスイブといえど、なんとかなるのではと山をかけた。家内は今日はとても無理だろうと言った。でも寒い街路にずっと立っているわけにはいかない。行ってみるしかない。

あらゆる場合に備えて、3種類のチップをポケットにしのばせておいたが、全く必要がなく、いとも簡単にOKが出た。40分待たずにすんで、うれしかったが、変だなと思った。前は女性の受付や給仕なんかいなかったはずだ。そして、たしか皇帝酒家だったと記憶しているが、皇后酒家という名前になっている。料理の値段もずいぶん安くなっているような気がする。一番高いコースが48ドルってどういうことだろう。

最初にオードブルが出てきた時に理解した。餃子が1つとみかんの入ったサラダが出てきたのだ。

これは欧米人向けに媚を売ったのだろう。以前はこんなことはなく、正統な中華料理が味わえた。しかし、食べられないほどまずいわけではなく、一番高いコースを選んだので、次々に派手なパフォーマンスをやってくれたので、ほどほどに満足して引き揚げた。

この世はいつかは必ず変化していくのだと理解した。シリコンバレーも必然的に変化していくのだと思った。

次は、p.110にある
「これで一応全ての予定を終えたのでナパ・バレーに向かう。
 本当はリーランド・スタンフォードが、資産の基礎を築いたサクラメントの東北方数十キロメートルのコールド・スプリングスや、エル・ドラド渓谷近くのミシガン・シティや、サクラメントを訪ねたかった。さらにリーランド・スタンフォードがブドウ畑を持っていたテホマ地域にも行ってみたかった。ただ、明日は帰国するので時間的な余裕がないこと、65歳になった私の体力から考えて無理と判断した。」
に続く部分です。

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コッポラよどこに?
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IEEE(米国電気電子技術者協会)には35年以上、会員だったので、私の年齢の65と会員期間の35年を足して100歳ということで、2012年12月にライフメンバーにしてくれた。会費はもう払わないで良いとのことだが、100歳の年寄りに扱われているような感じで、嬉しいというよりは何とも複雑な気分である。自分としては、気分的にはそんなに歳はとってはいないように思っている。しかし、体力が多少衰えていることも事実だ。何事にせよ、もうあまり無理はしないことに決めた。

ナパ・バレーには何回か行っているので、ナパの街の観光案内所と、ナパ・バレーのワイナリーのベリンジャーとオーパス・ワンに目標を絞ることにする。ナパの観光案内所では家内と次男がしきりに質問を繰り返していた。私は日本人の一般の夫がそうであるように離れて一人で展示を見ていた。

この観光案内所の隣に森本正治氏のレストランがある。帰国して大晦日にテレビを見ていると、「世界の鉄人ドリームマッチ アイアンシェフ生対決スペシャル」に森本正治氏が登場したので驚いた。

さて出発すると、家内が目的地にイングルヌックのワイナリーを追加と言った。

「あれはフランシス・コッポラが買ったけれど、つぶれたと聞いているよ」

と言うと、

「でも日本の観光案内書にも、ナパの観光案内所でもらった地図にも載っているわ」

と言われた。仕方がない。そうかと思った。

私のナパ・バレーの最初の観光は、シリコンバレーで、ある外資系のIT企業の仕事をしたことにある。仕事が終わると聞かれた。

「まことに申し訳ありません。忙しくて御一緒できないのですが、明日ナパ・バレーの観光を手配します。ついては、リムジンと運転手と(美人の?)秘書をガイドとしてつけるのと、日本の会社がやっているバスでの日本人向けの団体ツアーとどちらが良いでしょうか?」
と聞かれた。

「そんなの決まっているではないですか。むろん日本人向けの団体ツアーです」

と答えた。私は貧乏性かも知れない。

この時のツアーでベリンジャーとオーパス・ワンとコッポラのイングルヌックを覚えた。

ベリンジャーは思い切って高いのを買ったので、とても美味しかった。ベリンジャーは安いものは日本にも輸入されている。安いものでも、まずくはないが、正直ものすごく美味しいというものではない。オーパス・ワンは試飲が一杯35ドル(今回は40ドル)だったので、あっけにとられた。

コッポラのワイナリーのイングルヌックのワインは、オーパス・ワンを試飲した後だったので、比較するのは気の毒だった。それより、コッポラのワイナリーの売店にはワイン以外の彼の収集品がたくさんあって楽しかった。ここで『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のコーナーで鉛筆削りを買った。これはどうも化粧用のまゆ墨鉛筆の削り器だったらしい。今回の旅行でも鉛筆削りとして重宝している。『地獄の黙示録』のポスターも買った。

今回はナパのワイナリーの中央を走る29号線のセント・ヘレナ・ハイウェイに沿ったベリンジャーのワイナリーの場所も、オーパス・ワンのワイナリーの場所も間違えずに覚えていた。問題はコッポラのワイナリーだ。場所はパターン認識で分かると思うけれど本当にやっているのだろうか。

GPSでコッポラのワイナリーのアドレスを打ち込んで、指定された場所に行って見たがない。通り過ぎたと分かる位置からUターンして反対車線から探してみる。またない。良く注意すると、「この場所にあったワイナリーは次の場所に移転しました」と書いてある。その場所に行くと、「ここにはワイナリーはありません」と書いてある。変だなと、もう1回Uターンして探してみるがない。神隠しとはこのことだと首をひねった。

日本に帰って調べてみると、何とコッポラのワイナリーはナパ・バレーでなく、何十キロメートルも離れた隣のソノマの奥深くに移転していたのである。ガイザービル市ビア・アルキメデス300番地(300 Via Archimedes Geyserville)である。日本の観光案内書の地図も、ナパの観光案内所の地図も正しくなかったのだ。

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フレンチ・ローンドリー
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ミシュラン・ガイドのサンフランシスコ版によると、サンフランシスコ周辺の三ッ星レストランは2軒しかない。フレンチ・ローンドリー(6640 Washington Street Yountville)と、レストラン・アット・ミードウッド(900 Meadowood Lane, St. Helena)である。両方ともナパ・バレーにある。サンフランシスコ市内には三ッ星レストランは存在しない。あれだけの大都市で不思議なことである。

フレンチ・ローンドリーは、ナパの観光案内所でもらった地図で、すぐ近くと分かっていたので、行ってみた。ただ入れないだろうとは思っていた。日本から予約を取ろうとしたのだが、いろいろ制約条件があり、あきらめた。ずっと前からでないと予約は取れない。運よく予約がとれても、予約取り消しは課金が発生する。シリコンバレー探訪がいつ終わるかどうか自信が持てなかったので、予定に余計な拘束条件を入れたくなかった。そもそもフレンチ・ローンドリーというフランスの洗濯屋という奇妙な名前は何だろうと、『フレンチ・ローンドリー・クックブック』という重い大型本を米国のアマゾンから買って研究はしていた。

フレンチ・ローンドリーは、29号線のセント・ヘレナ・ハイウェイを少し離れたワシントン・ストリートにある。2階建ての木造家屋で、1階の外壁にはレンガが貼ってある。2階には張り出しのテラスがある。外観からは、全く普通の田舎風の家である。びっくりしたのは駐車場がないことだ。道路に駐車しろというのだろうか。それともどこかに駐車場があって、バレット・パーキングになっているのだろうか。それとも運転手付きのリムジンに送迎してもらうのだろうか。フランス料理でワインを飲まないことは考えられないので、最後の案が正解かなと思う。

いずれにせよ、今日はフレンチ・ローンドリーは営業していないので、お腹を減らしたまま、サンフランシスコに戻ることにする。

途中でガソリンが不安になってきたので、途中のシェブロンのガソリン・スタンドで2回目の給油をする。我々の乗ったシボレー・インパラという車は意外にガソリンを食う。カリフォルニアではガソリンは自分で給油する。それは35年前から知っているが、しばらく前に来た時、恥ずかしいことに借りた車のガソリン・タンクのカバーの開け方が分からなかった経験があるので、それはレンタカー屋で確かめた。

今回ガソリンの給油システムで分からなかったのは、自分で給油してから、支払いをするのでなく、何ドル分給油しますと申告して支払いをすませると、ガソリンを出してくれることだ。つまりガソリン料金を払わずに逃げてしまう人が多いということだろう。

シェブロンで給油してから、隣接しているマクドナルドに入る。今回の旅行でマクドナルドは3軒目なので、家内は「もう、マクドナルドはたくさん」と言ったのであるが、「贅沢は敵です」と押し切った。私は日本ではマクドナルドのハンバーガーをほぼ十年くらい食べていないような気がするので、美味しかった。もっともフレンチ・ローンドリーとマクドナルドでは天と地くらい違う。

その後、無事にサンフランシスコに帰着し、レンタカーをハーツに返却する。4日間の総行程は640キロメートルだった。

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12月27日
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シアーズ・ファイン・フード
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最後の朝で、午後には帰国する。次男はサンフランシスコに残って、米国の友人達に会うことになっている。次男が朝食には、アメリカン・ダイナーズ・フードのシアーズ・ファイン・フードを案内したいという。ポウェル・ストリート439番地(439 Powell Street)にある。ホテルの裏手にあって、スウェーデン風のパン・ケーキが有名である。ザガートのサンフランシスコ版には載っている。3人で別々の料理を頼んでシェアする。卵料理が変わっていて面白かった。量が多いし、味もまずまず、コーヒーも次々に注いでくれる。このくらいで十分結構だ。

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帰国便
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帰国の送迎が付いているので、ツアーを選んだのに、旅行会社は、迎えに来るのは午後3時と主張していた。午後3時にならないとJALのカウンターは開かない。午後3時にホテルを出てサンフランシスコ国際空港まで30分。3時半にチェックインすれば、午後5時半の搭乗に十分間に合うというのである。

前回、サンフランシスコの空港で、長蛇の列ができ、その上セキュリティ・チェックが厳しく、チェックインしてから、ゲートに着くまで2時間40分かかったことがある。ゲートに着いた途端に搭乗となった。だから午後3時の出迎えなんて絶対いやだ。午後1時半にして欲しいと強く申し入れして変更してもらった。

午前中にチェックアウトしていたので、荷物はベルボーイにバゲッジ・ダウンしてもらってフロントに保管してもらっていたはずであった。午後1時半に迎えの人が来て、荷物を積もうとしたら、荷物がない。ああ、やっぱりと思った。ベルボーイが慌てて私達の泊まった部屋に行き、バゲッジ・ダウンしてきた。全然指示を守っていないのだ。忙しかったから忘れたと言い訳をしている。荷物があったから良かったものの、どこか分からない所に移されていたら、どうなってしまったかと胸を撫で下ろした。

30分で飛行場に着くとカートを取りに行った。無料でなく5ドルになっている。それは仕方がないとしても、カートを供給する機械が紙幣をなかなか読み込まない。クレジット・カードを入れても機械が動作せず、機械を叩いている米国人もいた。良くないことだが、気持は分かる。何台か試して、やっと2台カートを確保できた。

1時間弱、休憩してJALのカウンターにチェックインした。そのまま出入国管理とセキュリティ・チェックを受ける。今回は快調で3時40分には終わった。早すぎたくらいだが、2日後、帰国した次男は、前日の航空機故障で日本から代替機を呼ぶというアクシデントで、大混雑に遭遇し、通過に2時間以上かかったという。ボーイング787は完全に信じるのはつらい。やはり外国だし、何があるか分からないから早く行くべきだと思う。

十分に時間があるので、ラウンジで遅い昼食を取る。ゆっくり休養した後で、免税品店を見る。ブランド・ショップは革製品のコーチくらいしか入っていない。これは空港で買物をしようとする人は慌てるだろう。日本の国力が落ちて来ているなと思った。

それに普通の物でも高い。市内のシーズのチョコレート店で10ドル台のものが20ドル台の値がついている。2軒見ても同じだった。

飛行機の中で眠れないので、原稿を入力しようかと思ったが、くたびれてやる気になれない。映画を見ることにした。夏にパリに行った帰りの時から、飛行機の中で映画を見るのが好きになった。

2012年8月米国公開の『エクスペンダブルズ2(Expendables 2)』を見た。全く荒唐無稽だが、面白かった。少し筋立てに無理があると思ったが、スピードで押し切られてしまう。2010年公開の『エクスペンダブルズ』は見ていない。

続いて2012年公開の『ボーン・レガシー(The Bourne Legacy)』を見た。CIAの諜報員が出て来る。恐ろしい映画だ。我々の情報処理技術が悪用されると、とんでもないことになるなと思った。

ブラディ・マリーを飲んで、居眠りした後、2012年公開の『ザ・キャンペーン(The Campaign)』を見た。ノース・カロライナ州の下院議員選挙をテーマとしたドタバタ喜劇。それなりに面白かった。

2012年公開の『ダークナイト ライジング(The Dark Knight Rises)』』を見た。途中でこれはバットマンの映画だと気がついた。結末はどうなるのだろうと思っていたら、羽田空港が近くに来ていた。久しぶりに新作映画をたくさん見て、骨休めをした。

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以上です。書店等で実物をご覧頂ければ幸いです。