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出版局長だより (第6回)

出版局長だより 第6回

出版局長の脇 英世です。2012年の12月、私は久しぶりにシリコンバレーを訪れました。

私がシリコンバレーについて原稿を書いていると、家内が言ったのです。

「あなたは何十回もシリコンバレーを訪れ、執筆のためにグーグルの地図を次から次にカラープリンターで打ち出して克明に研究しているけれど、やはり、あらためて現地を訪れなければ絶対に駄目よ。私が運転手になってあげる」

16歳の時から自動車に乗っていて、運転には絶対の自信を持ち、若い時にサンフランシスコ湾岸のUCバークレーに短期留学していた家内が自動車の運転手を買って出ました。

すると、次男が「僕も行きたい」と言い出しました。


次男は大学卒業後、しばらく旅行会社に勤めていましたが、大学院に入るためにUCバークレーで語学研修を受け、さらにシリコンバレーのディアンザ・カレッジでエッセイの書き方の勉強をしました。

その後、東部のシラキュース大学の大学院に入学しました。帰国後しばらく勤めた後に、国内の大学院のMBAコースに入学しました、英語の会話には堪能ですし、サンフランシスコやシリコンバレーには思い入れが深く、さらに米国人の友人達とも再会したいと希望していたので、旅行のガイド兼通訳を志願したのです。

今回の執筆のためには十分時間をかけて文献もずいぶん沢山読みました。ある程度の自信はあったつもりですが、旅行前に大学の仕事がたてこんでいて、最後のまとめの時間が不足していました。付箋は貼りこんだのですが、ちゃんとした書き抜きノートができていませんでした。読んだ本を全部持っていくわけにはいきません。数がありすぎ、重すぎるのです。軽く20キロを超えてしまいます。そこで最小限の冊数の本を持ち、手帳に訪ねてみたい場所を書き出しました。少し詰めが甘いと感じていましたが、と言って大学の仕事の手を抜くことはできませんでした。

━━━┫12月22日┣━━━

22日の土曜日の夕刻に日本を立ち、日付の関係で同じ22日の夕刻にサンフランシスコ国際空港に到着しました。飛行機の中ではよく眠れませんでした。サンフランシスコ国際空港到着後、サンフランシスコの湾岸地域には、かなり強い雨が降ったと聞かされました。

ホテルはユニオン・スクエアの近くのグランド・ハイアットに取ってありました。

夕食は、次男がいかにも米国らしい料理のお店に案内したいと言いました。ホテルからすぐのローリーズ・ダイナー(Lori’s Diner)という1950年代風のインテリアのお店でした。ツアーの時などはホテルのレストランで食べてしまうことが多く、こういうお店には入ることはありません。料理はものすごいボリュームで驚きました。メキシコ料理風の味付けで、それなりに楽しめました。

━━━┫12月23日┣━━━

23日の朝、レンタカーのハーツに車を借りに行きました。家内と次男が相談して、あらかじめ日本から予約していました。いろいろな荷物を積む可能性があったので、少し大きめのシボレーのインパラを選びました。駄目だと言われがちな米国車でもGMのシボレー事業部の車は定評があります。

早速、乗って驚いたのはGPSが古かったせいか、GPSの表示がサンフランシスコの中心部では滅茶苦茶だったことです。慣れていないだけではありません。雨でフロントガラスが曇るので、どうやって曇りを取ったら良いかとか、ライトのつけ方が分からないとか、チャイルド・セーフティ・ロックをどう外すのか分からないことなどは、慣熟度の低さによるものですが、GPSが正しく表示しないことには閉口しました。

GPSの表示通り、ぐるぐる一方通行の道を何周かしたあげく、これはGPSの表示がおかしいのだと結論付け、ともかく目視でゴールデン・ゲート・パーク目指して西の方向へ進もうということになりました。どう入ったのか分かりませんが、議論の末に、ゴールデン・ゲート・パークの南側のリンカーン・ウェイを西へ向かって進んでいました。雨が次第に激しく降ってきて、写真が使えるものになるかどうか心配でした。

サンフランシスコの市内を離れると、GPSが機能し始めました。リンカーン・ウェイの左に見える2番、3番、4番アベニューを目標にしながら、順次進んで行き、目標の45番アベニューに到達します。そこを左折して南に下りてゆきます。1758番地(1758 45th Avenue San Francisco)に目標があります。アウター・サンセット地区です。晴れていれば、海岸側にサンセット(夕焼け)がきれいに見えると言います。目指す家は2階建ての家で焦げ茶色に塗られています。色々な本やインターネットで見た通りです。なんとか最初の目標に到着しました。

ここはスティーブ・ジョブズが生まれてすぐ養子に引き取られて育った家です。1947年に建てられました。111平方メートル、37坪ほどの家です。ノルウェーで買った防雪用帽子をかぶって、強い雨の中に出て行き、2台のキャノンのカメラで撮影します。1台では心配です。ともかく写ってはいます。ついでに雨もです。

●レッドウッド・シティのオラクルへ

次は101号線沿いのレッドウッド・シティのオラクル、エレクトロニック・アーツ、旧ネクストを目指すことにしました。

まずデータベースで有名なオラクルです。次男がGPSにアドレスを入力します。一般道をしばらく走った後、280号線を南下し、サンブルーノで左折して101号線に乗り換え南下します。そう簡単に書いても運転手の家内は大変です。車の機能がほとんど分かっていないまま、交通規制が日本とは左右逆で、雨の中を時速60マイル(96キロ)で走るのです。周りの車は間違いなく70マイル以上でビュンビュン飛ばして追い抜いて行きます。雨で道路にたまった水がバシャーツとしぶきを上げます。道路に穴が開いていて、ガターンと衝撃を受けます。

それでもなんとか、目標近くに接近して、101号線を下り、旋回して101号線を跨いで、マリーン・パークウェイに進みました。左に曲がれれば簡単なのですが、そうは問屋がおろしません。

すぐにオラクルが見えます。レッドウッド・シティ市オラクル・パークウェイ300番地(300 Oracle Parkway Redwood City)です。埋立地に建てられた緑色のガラスの現代的な建物群です。写真で想像していたほど高さはありません。埋立地に超高層ビルを建てるとなれば、基礎の杭は相当深くなくてはなりません。それは高くつくし、いくらやっても無理でしょう。余計なことを考えるのを止めて、写真を撮ります。雨が激しく、これで写真が使い物になるかと心配です。でも写ってはいます。

次はゲームで有名なトリップ・ホーキンスのエレクトロニック・アーツです。ここで問題が起きました。前日の夜、ホテルでWi-Fiでインターネットに接続して、グーグルの地図でエレクトロニック・アーツの所在地を見ていたら、同じレッドウッド・シティで、すく近くなのです。日本で印刷してきた地図もあります。行けば分かるだろうと簡単に考えていました。寝不足で疲れていたし油断もありました。

GPSの入力を担当していた次男が言いました。

「次、どこへいくの?」

「近くのエレクトロニック・アーツ」

「それじゃあ、分からないよ。アドレスは?」

そうだ。アドレスがいるんだと気がつきました。ここから、ちょっと行った所という表現は、GPSには打ち込めません。急いで日本で精読していた「geek SILICON VALLEY」という案内書や何冊か本を見ましたが、アドレスが見当りません。仕方なく地図を見て走り出しました。でも分かりません。これはまいりました。

それでは、同じ道理で、レッドウッド・シティというだけでは、旧ネクスト(900 Chesapeake Drive Redwood City)の所在も分かるわけがないと思いました。甘かったと後悔しました。今晩、ホテルでインターネットで調べなおさなくてはなりません。

●エル・カミノ・リアルを通ってスタンフォード大学へ

レッドウッド・シティはギブ・アップして、とりあえず、わかりやすいスタンフォード大学へ行こうと決めました。

「スタンフォード大学のアドレスは何?」

「えっ、あんなに大きい大学、ただ走れば分かるんじゃない?大体、前にも行ったことがあるじゃない?」

「そういうわけには行かないの」

次男と家内の非難を浴びて降参しました。次男が持っていたガイドブックで探してGPSに入力しました。スタンフォードのセラ・モール450番地(450 Serra Mall, Stanford)です。

走り出してGPSの指示通りに進んで行きました。ふと気がつくと、これは101号線でなくエル・カミノ・リアルという道路ではないかと気がつきました。高速道路なら信号機なんてあるはずがありません。こんなルートを採ったら、時間がかかりすぎると不安になりました。出発点と目的地の組み合わせによっては、そうなるかも知れませんが、我々の借りた車のGPSの経路選択のアルゴリズムは最適化が足りないか、バグがあるのではないかと思いました。これは後で何度も思い知らされました。

ただ1つだけ良いことがありました。エル・カミノ・リアルには信号があって、通過に時間がかかるので、ふつうの観光旅行では通らない、したがってふつう見られない風景が見られるのです。

たとえばエル・カミノ・リアルを走ると、左側にカル・トレインという保存鉄道の線路があって道路に平行に走っているのが見えます。カル・トレインはリーランド・スタンフォードが巨万の富を築いたサザン・パシフィック鉄道のなれの果てです。自動車の普及に負けて、サクラメントを中心として、カリフォルニア州内を網の目のように張り巡らされていた鉄道は、現在ほとんど姿を消しています。実は線路を見たのは初めてです。予備調査でスタンフォード大学の前にはパロアルト駅というのがあると知ったのも驚きでした。鉄道の本物を見たのは良かったですが、エル・カミノ・リアルを走るのは時間がかかり、多少うんざりしました。

スタンフォード大学の構内については、かなり研究したつもりでした。

19世紀の後半に、功成り名遂げたリーランド・スタンフォードがパロアルトに牧畜場を作った時の構成から、その後の発展まで、何冊も本を読んで研究しました。どこが馬の訓練場で、どこが馬や牛のための貯水池で、どこがブドウ畑だったとか、どこがスタンフォード・リサーチ・パークか知っていたつもりでした。何百枚も地図を印刷しました。

ただ思いもよらない想定外の抜けがありました。

私はスタンフォード大学の中を自動車で走ることは想定していませんでした。施設の配置はかなり理解していたつもりでしたが、車で通るルートは考えていませんでした。施設と施設の間は自由に通り抜けられると勝手に思っていたのです。図上演習の甘さでした。

我々の車は定石通り、エル・カミノ・リアルを右折し、正面からスタンフォード大学のパーム・ドライブを直進して行きました。パーム・ドライブの両側にはパームつまり椰子の木が植えられています。もったいない位、長い参道です。楕円形の卵の形をしたオーバル・パークを経て、大学の正面に着きました。

ところが、それからどう進んだものか分かりません。フレッド・ターマンの拠点だった有名な500号館という建物に行きたいのですが、車では入れません。誰かに聞こうにも誰もいません。日曜日で、クリスマス前、雨が降っているという条件ではいるわけがありません。道を探しますが、分かりません。そこでスタンフォード・リサーチ・パークを目指すことにしました。要するに東の方向に行けば良いはずです。

この時、どうもキャンパス・ドライブという道に入ってしまったようです。妙だなと思いつつ進みました。途中で山側に向かって進み出しました。どうやらキャンパス・ドライブからジュニペーロ・セラ・ロードという道路に乗ったようです。まぎらわしいのですが、ジュニペーロ・セラ・フリーウエイとは違います。これは280号線です。右側にラグーニータ湖という貯水池を右手に見つけて、やっとどこにいたか分かりました。私の頭の中の地図と一致しました。スタンフォード大学の裏手に入ったのです。

真っ直ぐ行けば、サンド・ヒル・ロードに出るはずです。右手に回り込んで、スタンフォード・ショッピング・センターに行くことにしました。ここは簡単で、間違えるわけがありません。

●スタンフォード・ショッピング・センター

たしかにスタンフォード・ショッピング・センターには着きました。ところが、記憶にあるのと違います。何度か来たのはずいぶん前のことで、増設されているようです。それにいつもは表側から入るのに、今回は裏側から入ってきているのです。初めて来たような気がしました。

現在スタンフォード・ショッピング・センターがある場所には、もともとスタンフォード大学の創設者リーランド・スタンフォードが作った広大なブドウ畑がありました。リーランド・スタンフォードは、北カリフォルニアの地にいくつもブドウ畑を作りました。

特にサクラメントの北方には世界最大級と言われるブドウ畑を開発しました。土は肥え、気候も良く、世界最大のブドウ収量を誇りました、しかし最上級ワイン用のブドウには適した土地ではありませんでした。ここのブドウは、ブランデーにしか使えなかったのです。もう少し貧しい土壌でないと高級ワイン用のブドウ栽培には向かないのです。収量だけから言うと、フランスのブルゴーニュ地方のブドウの収量に比べると、フランスの地中海沿岸やアフリカの地中海沿岸のブドウの収量の方が圧倒的に多いですが、残念ながら最上級のワインには向かないのと同じです。

世界最高のワインを作りたいというリーランド・スタンフォードの夢は破れましたが、ブドウ畑に対するリーランド・スタンフォードの執念はパロアルトの地にも広大なブドウ畑を作ったのです。もっとも現在はリーランド・スタンフォードのブドウ畑は、どこにもほとんど残っていません。

ともかく休息して食事をしようということになりました。雨風はひどくなり、傘の内1本は吹き飛ばされて壊れてしまいました。新しい大型の傘を買おうかと言って探すと、売り切れでした。

ここはシリコンバレーで北カリフォルニアですが、南カリフォルニアのあの有名な歌を思い出しました。

アルバート・ハモンドの『南カリフォルニアには雨が降らない(It Never Rains In Southern California)』です。少し年齢の行った人はたぶん聞き覚えがあると思います。

「南カリフォルニアには雨が降らない。でも降れば土砂降り・・・」

南カリフォルニア大学に客員教授として滞在していた時、雨季にパサデナ・フリーウェイで帰宅する羽目に陥ったことがあります。雨がたたきつけるように激しく降り、ボルボ245のフロント・ガラスがほとんど見えなくなりました。ただでさえ運転が難しいと言われるパサデナ・フリーウェイです。私の運転技量では無事に帰れるかなと思いました。見えないから勘だけが頼りです。さいわい無事に帰れた時は、ほっとしました。あの時のことを思い出しました。東京の道路はもっと厳しいというのが家内の意見です。

ともかく、イタリア風レストランで食事をして、再度、出発しました。

今度は、スタンフォード・リサーチ・パークに行く積りでHPの創業時のガレージに続く2ヶ所目の建物を目指しました。

後で考えると不幸な間違いがいくつかありました。

1940年にHPが賃借した2ヶ所目の建物は、本当はパロアルト市ページ・ミル・ロード481番地にあるのですが、私はHPが1942年に初めて自社ビルを建てたページ・ミル・ロード395番地と勘違いしました。

70年昔ヒューレット・パッカードの本社ビルがあったページ・ミル・ロード395番地は、エル・カミノ・リアルの北側、パーク・ブールバードの南側にあります。多少やっかいなことにパロアルト市ページ・ミル・ロード395番地は、地図の上では、ページ・ミル・ロードにあるように見えません。オレゴン・エクスプレスウェイにあるように見えます。

降りて確かめるとアメリカ・オン・ラインAOLの建物になっていました。狐につままれたような気がしました。そしてスタンフォード・リサーチ・パークは見えません。当然です。間違えたのですから。

それでも、この土地はミステリーです。日本に戻って調べてみると、かつてページ・ミル・ロード395番地は2000年にヒューレット・パッカードから計測器とライフサイエンスと化学分析部門を分離して設立されたアジレント・テクノロジーズの本社の所在地でした。

それが2006年にジェイ・ポールという会社に買収されました。ジェイ・ポールは10年契約でグーグルにリースしました。ただグーグルが使った形跡はないのだということです。さらに2010年7月22日にグーグルはアメリカ・オン・ラインAOLに再リースし、現在に到っています。

それではアジレント・テクノロジーズは、一体どこに行ったのでしょう。不思議に思って有価証券報告書で調べてみると、何とサンタクララ市スティーブンス・クリーク・ブールバード5301番地(5301 Stevens Creek Blvd., Santa Clara)に移転していました。つまりアップルの本社から1キロメートルほどの所にいたのです。

またHPが賃借した2ヶ所目の建物のあったページ・ミル・ロード481番地に行ってみると、現在は何もありません。交差点の角、つまり隣はAT&Tが小さな建物を建てて使っています。ここでエル・カミノ・リアルを越えてページ・ミル・ロードを南に進めばスタンフォード・リサーチ・パークに行けたのでしたが、分かりませんでした。目の前まで来ていながら気がつかなかったのです。残念でした。

こうして愕然としたのですが、さらに最悪なことに次男が昼食に食べたサーモンのサンドイッチに当たったらしいのです。少しだけ食べた家内は何でもありませんでしたが、次男は我慢していたものの、かなりつらいようでした。

残念ですが、今日の所はもう無理をせず、サンフランシスコに撤収することに決めました。でも、撤収も簡単ではありませんでした。雨と風は厳しく、101号線を北上してサンフランシスコに戻るのは並大抵のことではありませんでした。TVでは、パロアルトのある川は氾濫しましたと報道していました。ただカリフォルニアの川は細い小川で、氾濫と言っても、日本の川の氾濫とは比較になりません。

しかし道路の水溜りと穴は、高速で走行する自動車にとっては、かなり恐ろしいものでした。運転には自信のある家内でさえ、無事に帰れるのだろうかと思っていたと後で話してくれました。こんな異常なことは、誰も信じないだろうと思いました。

昔のことですが、ノース・ウェスト航空のジャンボ・ジェット機がシアトルを離陸した直後、エンジンから火を吹き、緊急着陸することになりました。着陸するとシューターで飛び降りて逃げ出しました。その時のこともあまり信じてもらっているようではありませんでした。今回も同じだろうと思いました。人生では、どこかで突然、恐ろしい扉が開くことがあります。すぐに扉は閉じてしまい、何もなかったような日常性に戻ってしまうことがよくあります。

サンフランシスコに戻って、休憩し、ハリスというステーキ・レストランに行くことにしました。前日の夜、駄目で元々と思ってインターネットで予約を入れたら、奇跡的に5時45分だけ空いていたので予約しました。次男は食当たりで起き上がれないらしいので、大変申し訳なかったのですが、家内と2人で出かけました。

ホテルからハリスまでタクシーが大回りしたのは不快でしたが、黒木瞳の『黒い十人の黒木瞳Ⅱ』にも出てくるように、タクシーが道をわざと間違えるのは世界中どこでもあることだとあきらめました。

席に案内されて、まずハリスの一番有名なと信じていたマティーニを頼みました。これまでいかに米国らしくカクテル・グラスが大きいかを、家内に力説してきました。ところが、出てきたのはふつうのサイズのグラスで、補充用の小さな瓶がついてくるだけでした。

「どこが大きいの?」

これでは私の面目まるつぶれです。

「いつから、グラスのサイズが変わりましたか?」

「自分は5年間、この店にいますが、ずっとこの大きさで変わっていません」

ウェイターはそう言いました。この間、モスコーニ・センターに来たのは5年前ではないと思いましたが、争っても仕方のないことでしだ。

もう願わくは、さっき注文したナパバレーのワインとプライムリブ・ステーキが平凡な味でないことを祈るだけです。今日は何と悪夢のような一日だろうと思いました。

もし、ワインとステーキがまずかったら、予定を切り上げて明日、日本に帰ってしまおうとさえ思いました。

さいわいワインとプライムリブ・ステーキは家内に美味しいと合格点をもらいました。今日は連戦連敗でしたが、最後に1回だけ勝ちました。なんとか気を取り直して、明日は今日の負けを取り戻そうと思いました。

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続きは、しばらくして出版予定の本をご覧下さい。乞うご期待です。