科学技術と教育を出版からサポートする

出版局長だより (第4回)

出版局長だより 第4回

前回から1ヶ月半ほどお休みしてしまいました。頑張って毎月1本はお便りを出せるようにしたいと思います。

新キャンパス創設と新キャンパスへの移転で相当疲れましたので、今年の夏は少しゆっくり休養することにしました。休養先は大好きなパリに決めました。今回は何のスケジュールも組まないことにしました。とはいえ無論、ホテルと航空券はあらかじめ予約しました。ホテルはプチ・ホテルで常宿、とても安く予約できました。体裁を言わなければ、これほど便利な所はないでしょう。

荷物を運ぶことを考えると、ツアーの方が楽なのですが、ツアーでは全てが厳しく管理されていて、自分の自由が利きません。そして、これが一番閉口することですが、最近はプライバシー保護が行き届いていて、ツアーの参加者の方の名前しか分かりません。すると、「あの人はどんな人だろうと?」皆が互いに想像力をめぐらせ続けます。「私は誰でしょう?」というクイズをやっているような気がします。これでは、あまり気が休まらないので、今回はしばらくぶりに個人旅行にしました。

パリで何をしようかと出発10日前位に考え始めました。のんきなものです。そうだ三ツ星レストランに行ってみようと家内に提案した所、OKが出ました。通常はJCBとかJTBのようなエージェントを通して1ヶ月とか2ヶ月前に予約するのですが、時間がありません。切迫しすぎていて無理かなと思いましたが、自分でメールを打つことにしました。

もう一つの問題はパリの夏休みです。有名なレストランは大体1ヶ月ほどの夏休みをとります。そこでパリに10軒しかない三ツ星レストランで、問い合わせできたのは3軒に減ってしまいました。まあ、やれるところまでやってみるだけと思ってギー・サボイ(英語読みで、フランス読みではギー・サボアのようです)と、アルページュともう1軒にメールを打ちました。1軒は夏休みで断られましたが、2件はOKでした。

困ったのは、1,2日前に予約の再確認をして欲しいと言われたことで、メールでも電話でもかまわないとのことでした。ホテルの電話番号を教えて欲しいというので、これはちゃんと連絡しました。でも、パソコンは重いし、iPadを持って行っても、つながる保証はないし困ったなと思いました。家内のiPhoneはつながるでしょうが、フランス語で予約の再確認をされたら困ります。「ご注文は何にしますか。嫌いなもの、アレルギーのものはありませんか」とフランス語でやられたら降参です。もう、出た所勝負で行こうと思いました。予約金は払っていないので、予約確認なしに出かけて行って駄目と言われたら、それきりで、あきらめるということにしました。

もう一つ困ったのは、メールで、ギー・サボイとアラン・パッサールのファンで、本も持っていますと書いた所、「それはいい。本を持って来てください。シェフがサインしてくれます」と言われたことです。(”Please take your books with you for the chef to sign them.”)

アラン・パッサールの本は軽いので2,3冊は持っていけます。
“Les recettes des Drôles de Petites Bêtes”
“The Art of Cooking with Vegetables”
“En cuisine avec Alain Passard”

でもギー・サボイの本”Guy Savoy la cuisine de mes bistrots”は1.4Kgあって、両方合わせると軽く2Kgを越えます。これはたまったものではないので、ギー・サボイとアラン・パッサールの写真の載っている本”Haute Cuisine Paris A Culinary Walking Tour”をとも考えましたが、これも1.6Kg あって、運べないことはありませんが、つらいです。そこでギー・サボイの本はあきらめてアラン・パッサールの本だけにしました。

パリのプチ・ホテルに到着して受付をすませると、いきなり受付の妙齢の婦人から、
「ギー・サボイから予約確認の電話がありました」
と言われました。
「えっ、本当にリコンファームしてきたんだ」
とびっくりしましたが、その瞬間、
「そうだ、この人に代わりに電話してもらおう」
と思いついて頼んだら、気安くやってくれました。すごく簡単でした。なあんだと、にっこりしました。

ラス・ベガスのシーザース・パレスにあるギー・サボイは行ったことがありますが、パリのギー・サボイには行ったことがありません。日本でも所在地を徹底的に調べてきましたが、パリでも再確認しました。非常に助かったことにWIFIが使えてインターネットを自由に使えました。パソコンを持ってきて良かったと思いました。シャンゼリゼーまで行って、凱旋門の所を右に曲がって、次に左に曲がった所と徹底的に予習し、注文のリストもインターネットで詳しく研究しました。

パリは何度か行きましたが、ほとんど星のあるレストランで食事をした経験はありません。フォション(昔は海鮮料理を食べさせてくれました)、マルセル・プルーストが良く覗いていたという伝説のあるエディアール(食べたのかどうかは知りません)、カフェ・ドラ・ペ、トリュフで有名な大統領御用達のメゾン・ドゥ・ラ・トリュフ(ここは昔、お店の中にシェパードがつながれていて、雷が鳴ると吠えまくり、呆れました)、マキシムくらいです。あとはショーを見たりしての食事位です。せいぜいプロペラ機に乗ったくらいなのに、ジェット機級の三ツ星レストランは無理かなと思いました。でも、もう年齢を考えると、今回を外すと体力的に無理と思います。やるしかないということになりました。

お昼よりずっと前にプチ・ホテルを出て、シャンゼリゼーに行きました。早すぎたので、坂を下り、ルイ・ヴィトンの本店やらスワロフスキーのお店を冷やかして、時間をつぶした後、ギー・サボイに行きました。あれ?と思ったのは、非常に壮麗な建物ではなくて、どちらかというと裏通りにある、きわめて、こじんまりとしたお店で、近くには日本料理店やら中華料理店が何件かあったことです。

でも非常に愛想よく迎えてもらって、家内には、いきなりお土産のプレゼントを頂きました。「これは後が大変」と思いましたが、入ってしまった以上は仕方がありません。観念することにしました。くわえて誤算の一つはあらかじめ考えていた料理のメニューがリストに見つからなかったことです。あったのかもしれませんが、上がっていたのか、分かりませんでした。

その後何回かの経験で分からない時は、聞けば良いと知りましたが、その時は何ともなりません。緊張で青ざめた私に、家内が
「大丈夫、大丈夫、心配せずに、楽しめばいいのよ」
と言ってくれました。

料理は、いわゆるティスティング・メニューで、少しずつたくさん出てきます。ギー・サボイで驚いたのは、色々試してみたいだろうからと次々に違うパンを出してくれて、全部日本語で説明してくれたことです。それも難しい言葉をよく知っています。スズキと言われて魚の鱸(すずき)と理解するのは大変でした。ゴコクと言われた時にも、それが五穀であることに気がつくのに一瞬以上の間がありました。

「どうして、そんなに日本語を知っているのですか?日本語を話せるのですか?」
と聞いた所、
「ここにくる日本人は、ほとんどフランス語も英語も全く話せません。だから日本語の単語を覚えて説明するしかないのです」
それでは、さぞかしお店も困るだろうなと思いました。これで、やっと緊張が解けました。

緊張が解けた後は、とても楽しい時間を過ごせました。ホテルに戻っても、お腹一杯で、夕飯を食べる気も起きず、時差が解消していないので、そのまま朝まで寝てしまいました。

翌日の朝はクロワッサンを買いにパリの街を散歩しました。朝寝坊の家内が私も行くと言うのにはびっくりしました。ホテルに持って帰って食べました。さすがに焼きたては美味しいです。大きさもバターの含有量も日本のクロワッサンとはまるで違います。食事をしてから、マイバスとシティラマという旅行会社で1日ツアーを予約しました。それからギャラリー・ラファイエットに行って、夕飯の買出しをしました。

2日後にシティラマの観光バスに乗ってシャンペンの蔵を見に行きました。MUMMとモエの本社を訪ねます。MUMMのシャンペンはあまり美味しいというほどではありませんでした。お昼頃ランスの大聖堂を見学して、昼食を取りました。このツアーが安いのは、昼食がついていないからです。フォアグラ入りの肉のパイ包み焼きを食べました。とても暑い日だったので、ビールがとても美味しかったです。

その後、モエ・エ・シャンドンの本社に行きました。ここはドン・ペリの聖地でもあります。地下の蔵を探索し、色々説明してもらいました。ドン・ペリは100種類くらいのワインをブレンドすると説明されて、同じ味に仕上げるのはさぞかし大変だろうなと思いました。時々、ドン・ペリの味に揺らぎがあるような気がするのは、そのせいかなと思いました。

シティラマのガイドさんがドン・ペリが90ユーロで買えると言ったので、それは良いと思いましたが、実際には本社では135ユーロでした。日本で並行輸入品ならもう少し安く買えます。シャルル・ドゴール空港では125ユーロでした。本社が一番高いというのが何とも理解しにくいことでした。多少馬鹿馬鹿しい気がしたので、記念にドン・ペリでなく、ドン・ペリ専用の栓を買いました。実際には飾りに過ぎません。家内と二人なら全部飲んでしまい、明日には絶対に残りません。栓の必要なんかないのです。

次の日、アルページュに行きました。アラン・パッサールの研究は綿密にしてあって、野菜が中心だけれど、それは覚悟して欲しいと家内に言いました。ここはまた探しにくいことで有名です。ロダンの美術館の斜め前にあるのですが、夜初めて行ったら、相当難儀するでしょう。ここもインターネットのストリート・ビューで徹底的に研究しました。おかげで迷わず行けました。もっとも昼間ですから、当然かも知れません。

アルページュもギー・サボイと同じ個人経営ですから、お店の作りだけだと、「これが世界一のレストラン?」と思うような所があります。レストランのそこここにアラン・パッサールの本が飾ってあります。テーブルには珍しい野菜が置いてあります。

ここで驚いたのは、当日は1組を除いて、何組か来たお客さんは全部日本人だったことです。ギー・サボイで「日本人は、ほとんどフランス語も英語も全く話せません」と聞かされましたが、アルページュの場合、まさにそれを目の前にして衝撃をうけました。それに全然予備知識なしに来るので、アルページュが野菜中心のヌーベル・キュージーヌのお店だということを少しも理解していないようです。

日本語のメニューがないので、ステーキが食べたいと主張するのですが、最高級の京懐石のお店に行って焼鳥を食べたいと主張するようなもので、お店の女性も困っていました。「コースに肉料理が入っているということで良いでしょうか」と英語でしきりに同意を求めていました。通じているのかなと本当に気の毒に思いました。

飲み物も普通ならワゴンで運ばれてくるグラス・シャンパンを頼んで、その後、ワインへと進むのが普通だと思いますが、いきなりオレンジジュースとかコーヒー・フロートのようなものを要求すると、お店の人もびっくりするのではないかと思います。

ともあれ、アラン・パッサールの本は持って行ったので、サインを頼みました。「今、シェフは畑に行っています」と言うので、それでは今日は預けていくから、明日までにサインして欲しいということで交渉が成立しました。

食事はテイスティング・メニューを頼んだので、少量ずつ出て来ました。どれをとっても繊細で美味しく凝ったものでした。最後にお土産にナイフをくれました。後日ラファイエットの別館の食器コーナーで、ほぼ同じものをみつけましたが、12ユーロでした。

支払いを済ませて帰ろうとすると、5分待ってと女性が血相変えて言うので、何が起きたかと思いましたが、要するに、アラン・パッサールが畑から戻って来るので、サインがもらえるということでした。記憶に間違いがなければ、登場したアラン・パッサールはベージュの上着に純白のズボンをはいていました。キザだなあと思いましたが、この服装でどの畑に行っていたのだろうと思いました。

2冊にサインをもらったのですが、ホテルに帰って見ると、何と書いてあるのか、全く読めず閉口しました。インターネットでアラン・パッサールの直筆のサインを見つけ出し、本人に間違いないと確認しました。

この日もお腹が一杯で、夕食は食べず、ラファイエットに行って明日の朝食の買出しをしました。もしかするとウォッカのカクテルは飲んだかもしれません。

翌日、家内が、これだけの回数パリに来ていて、今だ一度も本場のエスカルゴを食べさせてもらっていないのは不満だと言いました。もっともだと思ってオペラ座の前のル・グラン・カフェというビストロに行って、エスカルゴを食べました。結局、日本に輸入されているものと、あまり変わらないというのが二人の一致した感想でした。しかし、何と言っても、花のパリでエスカルゴを味わう経験をできたから、何も文句はないという平凡な結論に達しました。

翌日はマイバスという会社のバス観光でロワール川の流域のお城を訪ねました。ロワール川流域については何冊かワインの本で研究していて、方向音痴の私にしては地理に少し自信があります。シャンパーニュ地方に行った時も同じ感想を持ちましたが、家内のiPhoneで現在位置が次々に分かり、便利だなと思いました。

シャンポール城を訪ねた後、洞窟のようなワイン蔵で昼食でした。ロワール川流域は葡萄が採れない訳ではないのですが、ワイン作りがあまり盛んではありません。自給する分くらいしかワインを作らないので、他の地方には出荷されないのです。

ここのワイン蔵では一本5ユーロでワインを売っているのですが、あまり安すぎて日本人は疑って誰も買いませんとガイドさんが言うので、白ワインを買いました。パリのプチ・ホテルに戻ってから冷蔵庫で冷やして飲むと、そうは悪くはないと思いました。もちろん。ボルドーやブルゴーニュのワインと比較は出来ません。

シュノンソー城は是非行ってみたかった城です。昔、私が現役の物書きとして、比較的良い売上げ部数を達成していた頃、K社の編集者のO氏に新宿のハイアット・リージェンシー・ホテルの中にあったシュノンソーという高級レストラン(今はありません)に招待されたことがあります。O氏から「先週は赤川次郎氏をここに接待しました」と聞かされました。

その時、教えていただいたのは赤川次郎氏の初版が20万部であることでした。女子高校生の赤川次郎ファンはその位いるというお話でした。私は大体初版4万部で、その差に圧倒されました。本の売上げは初版の刷り部数の何乗かと書店での平積みの高さによって決まり、それ以外ではありません。シュノンソー城を訪れて、なつかしく今は亡き編集者のO氏のことを思い出しました。

行きか帰りか忘れましたが、マイバスのガイドさんが、バスの中でのよもやま話で、「『テルマエ・ロマエ(Thermae Romae))』は面白いですね」と言ったのですが、何のことかさっぱり分かりませんでした。家内に聞いてみると、行きのエール・フランスの飛行機の中で『テルマエ・ロマエ』の映画を見たと言うのです。平たい顔の人とか、ローマ風呂とか、銭湯とか、全く意味が分かりません。だんだん知らない事が増えてきます。

そこでパリからインターネットで日本のアマゾンに原作の漫画の発注をかけました。パリでも人気のある漫画なのだそうです。日本の漫画もマイバスの出発地点のそばのジュンク堂書店などで買えるのだそうです。頑張っているなと思いました。

帰りの飛行機の中で『テルマエ・ロマエ』の映画を見ました。外国でも人気のある不思議な映画だそうです。

さてパリにしばらく滞在して、多少不満になってきたのは、和食を全く食べていなかったことではなくて、朝、目玉焼を食べられなかったことです。そこでオペラ座の近くのル・グラン・カフェで朝食の他に目玉焼を食べることにしました。プチ・ホテルから5分で行けて楽です。しかし、全く迂闊なことにフランス語で目玉焼とは何というのか研究していなかったのと、フランス語の電子辞書を置いてきてしまいました。

「オムレツでなく、目玉焼」と思いを伝えるのに、こちらも向こうも結構苦労しました。しかし出てきたのは卵を2個お皿の上に割って、オーブンで直接焼いたものらしく、皿にこびりついていました。これなら私でもフライパンで、もっとうまく焼けると思いました。

午後はオランジェリー博物館でモネの蓮の絵を見ました。ジベルニーにあるモネの自宅の池は前に見ていますので、なつかしく思い出しました。ずいぶん大きな絵です。素晴らしいものを見ました。これは、やはりジベルニーに行ってみないと分からないかなと思いました。

翌日、ラ・デファンスに行って新凱旋門に行った後、明日はリヨン駅にあるトランブルーというレストランに行こうと思いつき、インターネットで予約しました。予約のリコンファームは、またあの御婦人にお願いしました。

この場合もインターネットで徹底的に研究しました。気になったのは、日本人向けと他国民向けではメニューが違うことがあるという書き込みでした。そのためメニューは克明に調べました。プリンターを持っていないのは本当に不便で、全部手書きで写しました。ホテルのFAXに打出す手もないわけではありませんが、面倒なので筆写しました。

翌日、お昼に地下鉄に乗ってリヨン駅に行きました。リヨン駅というのは、パリからリヨンへ向かう列車の出発駅です。トランブルーはこの駅の中にあるレストランで、青列車、つまりブルー・トレインという意味です。

ここは予約なしでも入れるレストランですが、やはり予約しておいて良かったと思いました。席に案内されて食事のリストが渡されました。日本語と英語のリストをお願いしました。日本語のリストには、研究してきたメニューがありません。英語のリストにはありました。ポメリーのシャンペンのフル・ボトルがついています。そこで給仕さんに英語のリストにあったメニューを頼みますと、「それは夜のディナー用です。昼間は出していません。でもシェフに聞いてみます」とのことでした。

リストに記載されているのに、ちょっと変だなと思いましたが、幸い無事出て来ました。星はありませんが、ふつうの日本人にはこの位のクラシックで穏当なスタイルのレストランの方が向いていると思います。内装はとても素晴らしいレストランでした。

午後、ラファイエットの別館に行きました。プランタンとラファイエットの二大デパートは、完全に中国人向けに変身しています。中国人向けのホームページを見れば分かりますがプランタンはデパートというより、超一流ブランド品のお店を集めたお城のようになっています。朝、開店前から中国人を満載したバスが何台も免税手続きコーナーのある入口付近にとまっています。入口付近には中国人の大群が密集しています。何が起きたのかと思うほどです。

シャネルとかルイ・ヴィトンのお店はすぐ入場規制がかかって、ロープが張られます。お客さんが殺到するからです。バブル崩壊前は、日本人が殺到していましたし、その後、韓国人が並んでいました。今は、完全に中国人です。デパートの店員さんから、日本人が消え、日本語の表示も消えつつあります。プランタンからは、日本のデパートが完全撤退しましたし、ラファイエットも影が薄くなってきています。プランタンにしてもラファイエットにしても、日本人向けの免税手続きコーナーは1階から地階に押し出されてしまいました。国力の相対的なバランスが大きく変わろうとしています。

ただ良くみていると、夕方になると、潮が引くように中国人の群れが消えて行きます。多分バスで移動する団体行動の制約があるからでしょう。そう言えば、地下鉄の中ではそれほど見かけません。またプランタンやラファイエットではよく見かけますが、フォーブル・サントノーレ通りやモンテーニュ通りではあまり見かけません。しかしデパートからパリの市街全体に展開するのは時間の問題なのかもしれません。

オスマン通りをはさんだラファイエットの別館では生活用品が陳列されています。上から下まで一渡り見てから、「そうだジャガイモの皮むきを買う計画があった」と思い出し、地階のキッチン用品売場に行きました。面白かったのは料理に関係する本のコーナーがあったことです。まずChristophe Felderの”Patisserie!”という大きな厚いショッキング・ピンクの本が目に入りました。私も家に持っています。他にラルースの料理本も目に付いて、陳列されていた全ての本をチェックすると、この階の主張したい事がよく分かった気がしました。

この思想で計画しているのであれば、多分、日本では入手しにくい面白いものがあるに違いないと思って探すと、ワインのデキャンター用の切込みの筋が何本か入った金属製の球状の重い栓と、デキャンターの洗浄ブラシがありました。高くはないのですが、良いものを見つけたと喜びました。

最後の日はオペラ座の見学をしました。オペラ座では、前にバレーを見たことがあるのですが、見学は初めてです。家内が言うには、以前は地下まで見せてくれたそうですが、今回は行けませんでした。『オペラ座の怪人』のせいかもしれません。オペラ座にレストランが新しく出来ています。ついでに入って見ることにしました。前の日、インターネットで、中に入るには赤い絨毯を伝わっていくこととあるのを思い出し、無事に入れました。38度の炎天下で、外のパラソル席ではたまりません。味は平凡で、あまり印象的ではありませんでしたが、白いインテリアのとても素敵なレストランでした。

帰りの飛行機の中で、映画を何本か見ましたが、”Comme un chef “という映画がとても面白かったです。ジャン・レノ、ミカエル・ヨーンが出演しているレストランのコメディです。ミカエル・ヨーンの演じる青年は、大の料理好きですが、勤め先のレストランを首になってばかりいます。お客の注文や希望を無視して、自分がこれが最高だと思うやり方で調理してしまうからです。会社の秘書をしている奥さんは妊娠していて赤ちゃんが生まれそうなので、ミカエル・ヨーンは何とか仕事を続けなければなりません。そこで料理人ではなくて、窓拭きのアルバイトをしています。

ある日、窓から覗き込んだ調理場に入り込んで調理に手を出したことがきっかけで、ミシュランの三ッ星レストランのシェフのジャン・レノと出会います。ジャン・レノは料理のスタイルが古いと批評家達にけなされていて、星を落としそうになっています。星を落としたら首だとオーナーに言われています。

二人は打開策として、ヌーベル・キュイジーヌの中心哲学モレキュラー・ガストロノミー(分子料理)に活路を求めます。お店の料理に取り入れようとしたのです。ミカエル・ヨーンが知り合いのスペイン人の料理研究家を連れてきます。多分これはモレキュラー・ガストロノミーの大家エルヴェ・ティスや、スペインのエルブリのフェラン・アドリアあたりを風刺しているのではないかと思います。化学の実験設備を調理場に持ち込んで大変な騒ぎです。思わずふきだしてしまいました。

そこで二人はあらためてヌーベル・キュイジーヌのお店を訪ねて研究しに行こうということになります。このヌーベル・キュイジーヌのお店は3軒ほど実名が上げられていて、全部聞き取れなかったのですが、ピエール・ガニエールの名前も入っていました。ピエール・ガニエールには、日本の彼のレストランで2回に分けて9冊ほどサインしてもらっているので、微笑ましかったです。

さてジャン・レノは顔が割れているので、ミカエル・ヨーンの提案で、侍と芸者の格好をしてヌーベル・キュイジーヌのお店を訪ねて行きます。そこでまたトンチンカンな大騒ぎととなり、笑わされます。案外、普通のフランス人はヌーベル・キュイジーヌやモレキュラー・ガストロノミーに対して、こういう感想を持っている部分もあるのかなと思いました。多分ルーブル博物館の中庭にできたガラスのピラミッドのように思っている所もあるのでしょう。

もう一度、最初から見て詳しくノートを取りたいと思ったら、もう成田が近くなっており、残念でした。アマゾン・フランスにDVDを発注しました。

今回はインターネットと蔵書のおかげで楽しい旅行ができました。次回はiPhoneとiPadを必ず持ってこようと思いました。