科学技術と教育を出版からサポートする

このところ大学出版部の設立ブームが注目されている。国公立大学だけでも06年に富山大学,07年に岡山大学,筑波大学,東京藝術大学,08年に東京外国語大学,そして国際教養大学と続いている。
 4月には東京外国語大学出版会の発足記念特別シンポジウム「人文学の危機と出版の未来」が開催された。また,大学出版部協会は5月の定時社員総会において,関東学院大学出版会を新たな仲間としてむかえ,32大学出版部となった。同時に有限責任中間法人から一般社団法人へ移行した。
 ただ,設立ブームは必ずしも「将来に向けた明るい話題」として受け取られてはいない。大学出版部を取材した記事では,出版部設立を船出に例え「出版不況の荒波に抗(あらが)うように」と書き出していたくらいだ。
 確かに出版不況に加え「大学の危機」,「教養崩壊」,「少子化」,「若者の活字離れとデジタル依存」と書き出せばきりがないくらい,大学出版をめぐっては負のキーワードばかりである。
 

復活すべきは研究か出版か

外語大出版会がシンポジウムタイトルを「人文学の危機と出版の未来」としたのは,一見自然な選択に思える。しかし「人文学の危機」と「出版の未来」の間にどのようなつながりを見ていたのだろうか。おそらく問題意識としては,人文学研究の危機は,不幸な出版の現状,つまりは人文書出版の危機を前提としている。
 危機をむかえているのは「人文学研究」とともに「人文書出版」であって,また未来に復活すべき存在も「人文学研究」であり「人文書出版」としているように聞こえた。しかし,両者を等号で結ぶこと,あるいは混同していては議論が隘路にはまる。言うまでもなく人文学研究における危機と人文書出版の危機は,互いに影響関係にあっても別な次元にある。
 また会場から「危機とは何を指しているのか」という問がなされたように「危機」の実態が共有されているわけではない。硬い本が売れないから研究書を執筆する機会が減っている,それが人文学の危機である,というのでは(もちろん,それもあるだろうが)いささか単純すぎる図式な気がする。
 〈危機〉というからには,かつてよい状況があり,何かしらの原因で現在が悪い場合に使われる表現である。危機の分析がまず求められるだろう。
 伝統ある教養書出版社の手になる哲学叢書が,かつて数万部売れたとか,最近では数千部の少ないオーダーである,といった事実の指摘もあるだろう。が,昔はよかったという議論を続けることが建設的とは思えない。壇上のパネリストからも「人文書出版が危機というならば,それは以前からずっと危機であり,危機でなかったことなどない」という返答もあった。同意見である。

荒波で沈まない方法

外語大シンポジウム終了後に開かれた懇談会で,乾杯の音頭を託された。お祝いの言葉として,いささかの真実を込めて「荒波の中で沈まない方法があります。それは漕ぎつづけることです」というパーティートーク的な挨拶から始めた。新設の大学出版部が直ちに収益が上がるわけがない。売上だけでは決して運営できない現状がある以上,大学当局による支援も必須である。漕ぎつづける,という意志には予算的裏付けが求められるのである。
 また大学出版部協会設立当時,設立メンバーは大変な苦労をしながら協会活動を開始したことを紹介させていただいた。むしろ大学出版部協会は出版団体として後続であり,日本書籍出版協会は日本雑誌協会とともに50周年を祝い,さらに工学書協会と出版梓会は60周年を迎えている。
 戦後間もない状況で,出版活動を開始するには今日よりはるかに厳しい環境であったことは想像に難くない。「志ある道は常に険しい」のである。