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「インターネットは,本,新聞,テレビなどの既存メディアを凌駕したが,唯一負けているのが“信頼性”である。これからはネットの信頼性を高めていく必要がある」。ひと頃,耳にしたネット関係者の発言である。その後,Web2.0ブームがやってきた。
 Web2.0が形成する信頼性については,ウィキペディアに代表される「群衆の叡智」が指摘されている。「みんなの意見は案外正しい」のだ。いやウィキペディアは間違が多く信頼できない。いやいや,それを言ったら伝統的百科事典だって間違いがあるじゃないか,とかなりヒートアップした議論が交わされている。
 しかし,である。そもそも信頼性を論じることは,正しいか間違っているかを論じることなのだろうか。さらに言えば,紙をライバル視して,インターネットの信頼性を問うことには,個人的にかなり疑問を持っている。
 そこでネットの信頼性とは何かを考えてみたいと思う。

“信頼性”の変容

相次いで,というか,相変わらず,というか,欠陥製品による事故が続いている。最近でもガスストーブや瞬間湯沸かし器による死亡事故,パソコンバッテリーの発火など,いずれも業界トップ企業の製品によって引き起こされた事故である。製品回収などのお詫び広告は社会面下段に優先的に掲載されるのだが,希望点数が多い日など他面に回るほどである。
 欠陥に加え,隠蔽工作が発覚すれば,伝統ある大手企業でも存続が危うくなる。ベテラン社員たちは昔に比べユーザーの目が厳しいことを肌身で感じているはずだ。
 このような事件のたびに「企業の信頼が損なわれた」と指摘される。その“信頼”とはなんだろうか。品質管理や,それを理論化した信頼性工学は日本のお家芸だった。製品が「故障しない」ことや「精度が高い」ことが高い信頼性を得ると信じられてきた。
 一般の消費者向け製品でも高い精度が要求される時代である。品質を追い求めても限界がある。機械である以上,故障もするだろう。だから故障が起きたときは安全に停止する設計を施すことになる。あるいはエレベータのように故障を未然に防ぐメンテナンスが欠かせないことになる。
 ひとたび欠陥品が世に出たときは,直ちに公表して回収しなければいけない。つまり信頼性とは,間違いない製品だけを世に送り出すことではなく,間違った場合の対応が問われているのだ。
学術研究分野では信頼性を得るためには,さらに検証性が要求される。実験はすべてのデータを保存し再現される必要がある。論文の正しさは,他の人によって検証できなければならない。

本の信頼性

最近,書籍編集者として読者のクレームが増えたと感じている。確かに校正界の長老たちにしかられるような誤植満載の本も多い。
 ここで指摘したいのは,誤植が増ではなく,本に対する読者の目が厳しくなったことである。受験参考書の誤植に対して「試験に落ちたのはこの本のせいだ」というクレームがある。どんな単純な誤植でも返金の要求がある。きついクレームほどメールでくる。
 ここだけの話,「本には誤植がつきもの」である。ベテラン校正者の手による辞書や,ロングセラーにも間違いが見つかることがある,「辞典の初版は買うな」という言葉は「新車は買うな」と同じくらいに交わされている。
 とはいえ,編集者の開き直り的な発言は許されないのである。ときには間違いもある原稿に手をかけて編集し,信頼性を高める作業は,今後とも変わらず続いていく。インターネット時代となっても,本に対する信頼感は(揺らいでいるかもしれないが),いまだ高いものがある。読者のDNAに組み込まれた,紙に対する信頼性と言い換えてもよい。
 ネットについては次回に考えてみたい。