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やっと落ち着いてきたので,この流行語を取り上げようと思う。“ユビキタス”である。80年代半ばのニューメディア,90年代のマルチメディア,90年代半ばのインターネットに続き,2000年代に入ってユビキタスが登場してきた。つまり,どんなに強力な新語でも,5年もたてば飽きられて入れ替わってきたのである。
 意味は今さら説明するまでもないと思うが,ブームになると不思議な解釈もある。「携帯電話でメールばっかり打っているから,“指に支障きたす”(ユビキタス)」というジョークがあるが,これで納得する人もいるらしい。
 換骨奪胎してビジネス用語にするのは日本の得意技だ。『現代用語の基礎知識』を引くと,外来語として掲載されるのが1999年版からだが,「ユビキタス社会」が登場するのが2002年版,さらに今年の版では「ユビキタス市場規模」という用語もある。これだって本来の意味からするとかなり滑稽な表現ではないだろうか。

出版物にみるブーム

ゼロックス・パロアルト研究所にいたマーク・ワイザーが「ユビキタスコンピューティング」を提唱したのは1988年である。その後発表された「21世紀のためのコンピュータ」など,詳しい論文は今でも研究所のウェブサイトで読むことができる。1999年に急逝したワイザーを偲び,彼のサイトが保存されているからである。でも彼の死はパソコン雑誌記事でも「亡くなったあとで気づいた」といった程度の扱いだった。
 技術が進歩し,時代が彼のコンセプトに追いついたとき,日本のマスコミの寵児となっていたのはワイザー本人ではなく坂村健東大教授であった。坂村氏が『ユビキタス・コンピュ-タ革命』を執筆するのが2002年の6月。もっとも,氏がブームの仕掛け人ではなく『ユビキタスがわかる本』といった類の本が,前年11月には発行されている。
 出版物でみていくと,産業レポートとして日本電子工業振興協会『21世紀情報社会へ向けたユビキタスIT開発の提案』が2000年10月,野村総合研究所『ユビキタス・ネットワーク』が同年12月に発行されている。2001年になってブームとなり,その頂点で坂村氏が登場してきたのである。
 坂村氏は「あらゆるものにコンピュータを,と1984年から提唱してきており,元祖はTRONだ」と発言している。誰が元祖かなんて論争はワイザーも望んではいないだろう。要するにコンセプトは古くからあったのである。
 二人が技術的な理想像を説明していく上で,アプローチはかなり異なっている。ワイザーはコンピュータにおいても,書き慣れたペンや履き慣れた靴,毎朝宅配される新聞のように,特別意識することなく問題に集中できる「穏やかな技術(Calm Technoligy)」が,確立されると考えていた。

日本出版インフラセンター

一方,坂村氏の技術は,微細RFIDといわれるゴマ粒大の無線ICタグの登場に負っている点が大きい。米国ウォルマートが,商品にICタグを付けて在庫・販売管理の実証研究をしているのがよく知られている。
 出版界でもICタグをすべての本に埋め込んで,バーコード以上の働きをさせようと計画中である。日本出版インフラセンターで来年3月までに結論を出す。薄利多売の書店業界では万引き被害が大きいため,有効な対策と積極的に評価している。また,単一商品で川上から川下まで統一できる業界は出版界だけであり,経済産業省も期待を寄せている。
 標準化ではナショナリスト坂村氏に対し,国際派村井純慶應大学教授がMITとともに提案している案もあり,なかなかカラフルである。ただ,どちらの技術が採用されても大した違いはないだろう。技術がいくらバラ色の社会を語っても,社会は人によって作られていくからである。