科学技術と教育を出版からサポートする

日本の書籍売上げは1996年の1兆円余をピークに下り坂となり,今では10年前の市場規模以下となった。一方,アメリカの書籍売上高は経済失速や同時多発テロを経験しながらも,この10年間,好調を堅持している。昨年の書籍売上げは約270億ドルで,10年間で100億ドルの増加である。
 その理由としては,メディアコングロマリット(巨大資本)の再編が進み,その傘下にはいることで出版社が経営の効率化と投資の集中化を図ったことにある。
 では,売上げを伸ばすことが出版社の使命となったとき,読者と編集者にとってハッピーなのだろうか。これに対し痛烈なまでにノーと答えているのが,先ほど来日し,講演を行ったアメリカの編集者アンドレ・シフレンだ。
 シフレンはランダムハウス傘下の名門書籍出版社「パンセオン」の元社長で,90年より独立系NPO出版社「ザ・ニュープレス」を率いている。最近ではピリッツアー賞を受賞し,日本でも評判となったジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を刊行した。

出版メディアの再編

出版界の再編は,RCAによるランダムハウスの買収から始まる。しかし,巨大メーカーが出版ビジネスを理解することはなく,ほどなく手放すことになる。
 メディア王ニューハウスがランダムハウスを購入した際,6000万ドルにすぎなかった評価額は,合併吸収を繰り返すことで80年代の10年間で8億ドルを超えるまでふくれあがっていく。この驚異的な成長にもオーナーは満足せず,本を読んだこともない銀行家が出版部門の指揮を執ることになる。
 ランダムハウスの出来事は,他のすべての出版社におきたことでもあった。コングロマリットによるメディア支配が進行するアメリカでは,今や五大メディアグループで出版市場の約8割を独占している。経営陣は新聞や映画の利益率を出版部門にも要求した。この結果,収益を上げる本が他の収益率の低い本を支える構図が否定され,すべての書籍に売上げ至上主義が徹底されたのである。
 出版の良心ともいえるパンセオンは解体された。ランダムハウスはバブルな赤字体質となってドイツのコングロマリット,ベルテルスマンに身売りされたのだった。

『理想なき出版』が伝える危機

「コングロマリットによる支配を許すと,二度とは元に戻らない」。シフレンは講演でも,また彼を招聘するきっかけともなった,その著書『理想なき出版』(柏書房)でも,再三繰り返し警告している。
 収益だけが決して本の評価ではない。最も大きな弊害は本の多様性が失われ,権力にとって不都合な「声」が人々の耳に届かなくなることであるという。「9.11」以降,ブッシュ政権を批判する本は極めて例外的という。「イラク戦争」では,市民の反戦運動を抹殺する形で,愛国心をあおり立てる本の出版が続き,政権支持の世論作りに貢献した。
 インターネットに対しても,その利便性は認めるものの,将来的にはコングロマリットが支配していく構図になると考えている。
 ミッド・リスト(日本では人文社会学の教養書)の出版は不可能だといわれるなかで,シフレンが選んだのはNPOでの出版活動であった。ヒントは学術書を出版する大学出版局などにあった。
 シフレンを囲む懇親会場で,彼に「大学出版の編集者」と名乗って挨拶した。伝え聞いていたとおり,アメリカの大学出版局も理想的な出版活動ができる環境とはいえなくなっているという。大学当局から収益事業としての圧力が高まっているからだ。
 今,日本では大学出版局の設立ブームである。しかし,その根底にあるのが大学生き残り策として収益への期待である。大学人にこそ,お金ではなく理念としての出版文化を語ってほしい。