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どこの出版社でも同じと思うが,対応に苦労するのが読者からの問い合わせである。もちろん誤植に対して厳しいお叱りをいただくのは当然のことである。一生懸命考えてもわからない理由が「誤植でした」ではすまされない。本とともに出版社に対する信頼も一気に失うことになる。ただ困るのは読者の勘違いや,内容を理解できないことによる質問などである。

電話何でも相談室

電子工作の入門書を出版していることもあり,「本のとおりに作ったが動かない」といった問い合わせがある。電話でのやりとりはかなり困難で時間を要するが,たいていは読者の知識不足である。
 うっかり編集担当者の名前を教えようものなら,次回から指名でかかってくる。完全に「電話何でも相談室」である。著者も巻き込み何度かのやりとりの後,潮時を見て「この本の著者は学校の先生です。教えることで収入を得ています。あなたもこれ以上わからないのであれば学費を払って学校へ行き,先生に聞いていただけますか」。基礎力不足の読者に対しタダで教える義務はない,と婉曲に伝えることにしている。
 でも本当に困るのは,永久機関の発明家やアインシュタインの生まれ変わり(!)からの原稿の持ち込みである。理工系大学出版局のためか,この手の問い合わせがかなりある。この間も「家を電磁シールドしたい」という電話である。理由を聞くと「隣の家が私を狂人にしようと,私の脳に電波を送ってくるのよ!」

レポートのデジタルカンニング

最近,急増し,比例して呆れることも増えたのが電子メールでの問い合わせである。まず無記名,発行する書籍と関係なし,さらに一方的である。たとえば「問題がわからないから解答を教えてほしい」として「宿題」を何問も書き連ねてくる。考える努力を放棄しタダで解答を求めているのである。あげくに「提出が迫っているから早くして」と要求する。
 人文系大学の教授に伺った話であるが,期末試験の代わりにレポートを提出させると必ず「できすぎ」の小論文がある。キーワードをいくつか拾い出してインターネットの検索エンジンを使うと,まったく同じ文章がウェブサイトで発見されるという。
 90年代末からWIRED NEWSで報告されているが,アメリカではウェブによるレポートの代筆サービスがあとを絶たないという。対抗上,教員のための「盗作のチェックサイト」や「剽窃の発見」用のソフトも出回っている。調べてみたら,今でも多くのサイトは健在で,人気のほどを誇っている。日本でも卒業論文や修士論文がネットで売買されていると聞く。
 もともと社会科学系の論文は「文献調査」と「引用」を基本に組み立てられる。自分だけの知見を述べるために様々な論説や資料を駆使することと,ネットで安易に「正解」を探し,カット&ペーストで論文を仕上げることは大きな隔たりがある。でも違いのわからない学生もいるのだろう。
 最近,梅棹忠夫『知的生産の技術』を読み返した。初版が1969年。ワープロ登場以前だけに「カナモジタイプライター」の利用が考察されるなど隔世の感がある。一世を風靡し,その後数多くの亜流を生んだ同書も今や古典である。しかし根底に流れる思想は古びることはない。学校教育での「情報科」の設立を提言するなど「予言の書」でもある。
 すっかりわすれていたが(読んだのは30年も前だ),「引用がおおいのはずかしい」といった記述がある。他人が一度述べた意見を再度繰り返す必要はなく,自分の創造物を多くしろ,と梅棹先生は叱咤する。自然科学と人文社会学にわたり博覧強記の先生ならではだが,そこまで求めずとも「原稿を書くならちゃんと引用しろ」と叱ってほしいのは,学生だけでなく著者にもいっぱいいるのです。