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相手がケータイ世代ならば電車の中からメールしても,大抵は事が足りる。最近,急いで飛び乗った中距離電車で必要な要件を思い出し,慌てたことがある。同僚へ携帯電話でメールして解決し,それ以来,便利さを実感した。もっとも便利だから使うのではなく,メール自体が目的となったコミュニケーションツールでもある。
 ある時,帰宅車内でメールの着信があった。絵文字入りで「せろはんかてきて」とある。機械音痴で短縮登録もできない嫁さんからである。怪訝に思いながらも何度かのメールのやりとりでセロハンテープとわかり,買って帰宅した。玄関には携帯電話を持って6才の息子が待ちかまえていた。

メディアとしてのケータイ

今年になってPHSから携帯電話に買い換えた。今までPHSにしていたのは料金が安いのと,データ転送速度が速くPCモバイル通信に向いていたからである。携帯電話サービスへの興味よりも,移動体電話としてみれば,つながらないことへの不満が大きかった。
 それまで携帯電話にカラー画面は必要ないと思っていたし,カメラとかムービーとか何のためあるのよ?とすっかり旧世代に属していたのである。買換欲求はあくまで音声通信なのであるが,この種のサービスとは不思議なものである。百聞は一見にしかず。さらに一回の利用は百見に勝る。カメラもメモ代わりに便利である。若い人の間で携帯電話での写真交換が,コミュニケーション儀式化しているのもよく分かる。
 音声よりも文字情報伝送に好んで使われ,写真も動画も交換しあう。ファックスに始まりパソコンがつながり,インターネット接続料金も「電話代」の名のもとに請求される時代である。ダイヤル式の黒電話がケーブルの両端につながっていた電話のイメージはそこにはない。電話はケータイというメディアに変化したのである。
 このケータイメディアの誕生にはiモードがキラーアプリだったとよく言われる。リクルート時代にユーザー動向を見続けてきた松永真理だから可能だったのであり,NTTやメーカーの企業風土では生まれなかったであろう。

メディア概念の変化

デジタル化時代と呼ばれる今,身の回りを振り返ってみると,このようなメディア概念の変化はいたるところにみられる。重要なのは技術開発競争の結果ではなく,利用者がリードする形で変化がもたらされている点である。
 典型的な例をポケベルに見ることができる。覚えておいでだろうか。かつてポケベルは営業マンを呼び出す通信機器でしかなかった。ポケベル第1世代にとっては管理イメージがつきまとい,あまりよい印象ではない。
 それを数字によるコミュニケーションツールに変えたのは誰か。ポケベル第2世代は,会ったこともない者同士でメッセージを交換しあう「ベル友」をブームにした当時の高校生たちである。うちの編集のマツザキさんは,今でも文章を数字に置き換える早業ができる(ちなみに第3世代はいない。だからこれで年がばれる)。
 ところがメーカーやプロダクト側は,器を準備しコンテンツを入れればメディアになると思っている。ひと頃ハード開発からソフト産業へとメーカーの戦略変更が注目されたが,その成功企業とみなされるソニーにしても,メディアを生んだ訳ではない。
 電子ペーパーが本誌でも何度か特集に取り上げられている。関連企業による研究会で,話をする機会をいただいた。「電子ペーパーはメディアになれるか」というタイトルで伝えたかったのは,まさに技術決定論からの脱却である。コンテンツソフトからメディアへ,ユーザーがどのような楽しみを見つけ出すかである。
 それにしても誰も教えたわけではないのにケータイメールを打ってきた息子には驚いた。