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「機械式時計」のブームだそうである。ゼンマイとテンプが生み出すリズムを歯車が伝え精緻な時を刻む。確かにあの動きは見ているだけで飽きない。デジタル環境が広まる中で,人触りのするアナログ感が求められている。
 でも時計が安くなり雑誌の付録になる時代に,数十万円からする高級時計は希少価値を演出したブランド戦略の成果である。元ラジオ少年の編集者としては,正確に,より安くを目標に歩んできた日本の工業技術を評価したい。ブランド戦略の軍門に降った時計など工業製品として邪道です!

「機械式時計」と電子出版

ところで「機械式時計」である。時計はいつから「機械式」が希少価値となったのだろうか。もともと時計といったら機械式である。電池で動く時計を差別化するために「電子時計」と呼んでいた。
 80年代半ばに始まった電子出版について,当時ぼくは時計を例えに「電子出版をいつまで出版と分けて考えるのか。誰も電子時計といわないように,今に出版といったら電子出版のことで,紙の出版とあえて言わなければいけない日がくる」と発言して,出版界の諸先輩から一笑に付されていた。
 問題はここからである。時計会社は精密機械産業から電子産業に転換した。では,出版はどうか。電子出版を取り込んで転換できただろうか。ノーである。電子出版は,その言葉を維持したまま「出版」とは別に存在している。おそらく電機メーカーの中に。

紙の市場にとどまるのか

電機メーカー数社から,まもなくPDA型読書専用機が発売されると聞く。メーカーはコンテンツを求めて出版社詣を続けている。でも,コンテンツホルダーの立場で浮かれていて良いのだろうか。たとえば電子辞書である。2年前にもこのコラムで取り上げたが,その後,変化は勢いを増している。
 79年に電訳機の名前で発売された電子辞書は,90年代末になって急速に市場を広げた。初期の電子辞書は市販辞書とは別の簡易版の辞書データを搭載していた。価格も1万円以下である。それがメモリの低価格化を背景に,出版社提供による市販辞書のフルコンテンツ版に移行し,2万円前後が売れ筋である。
 今や電子辞書は年間300~400万台の販売台数。そのうち半数がフルコンテンツ版という。これに対し辞書市場は5年前に1500万冊といわれたが,今は1000万冊以下に落ち込んでいる。明らかに電子辞書に市場を喰われている。電子辞書は1台に英和,和英,国語,漢和など数冊分の辞書が収められている。換算すれば紙の辞書販売部数を凌駕している。
 しかし,出版社が販売価格を決められた紙の辞書と違い,ロイヤルティは本の数%という。電子辞書に搭載されない辞書ブランドは今後売上げが落ちる逆転現象が懸念されている。「庇を貸して母屋を取られる」ではないが,メーカーは電子辞書を取り込み,辞書市場のイニシアティブを握ってしまったのだ。

 時計のデジタル化で先行した日本は世界市場を制覇し,勢い余って行き着いたところが低価格化という不毛の地であった。量を追わなかったヨーロッパの時計メーカーが今,脚光を浴びている。メジャーになって苦しむのか,希少性でマニアの満足の中に生きるのか。どちらが正解かわからない。ただ一つ言えるのは,デジタル化は進化ではなく淘汰なのだ。
 では出版はどうか。80年代以降,ストック情報価値からフロー情報価値へ転換することで,宿命的に量を追い続けた。その結果,大量印刷,大量販売,大量廃棄という不毛の地にいる。「代替が効かない」といわれた希少性に後戻りできるだろうか。紙の本にとどまることは,分野によっては急激に部数を落とすことになる。好事家の間でアナログ的存在として生き延びていくのだろうか。