科学技術と教育を出版からサポートする

第2回 キャンパスから教科書が消える日

 今日,教育と出版を見渡すと教科書を仲介としたゆるやかな連携が描かれている。検定教科書は文部科学省の制度のもと閉じた市場を形成し,学習参考書や教材,辞書とあわせ巨大な出版市場である。本は教室に不可欠の要素である。
 それもそのはず。歴史的にみれば,教材出版は教育活動の一部として始まっている。たとえば最古の出版社であるオックスフォード大学出版部(OUP)の創立をひも解くとよい。グーテンベルグにより活版印刷技術が発明されてから,わずか20年余の後。大学に持ち込まれた印刷機によって宗教書が刷られた年を創立年としている。当時の学問は神学であり,その教科書は聖書か宗教書しかない。つまり教えるということは教材を作ることであり,多量に聖書が印刷できるようになったことで,教育は大衆化したのだ。
 OUPを祖とする多くの大学出版部(ユニバーシティプレス)は,文字通り教科書をプレスする印刷部から発展した。ちなみに僕の勤める東京電機大学出版局の創立は1907年。当時の電気技術といえば,今日のITに匹敵するような最先端技術であり,和書は2冊しかなかったという。教員が教材を作る印刷部として,出版局は学園と同時にスタートした。ここでも教えることは教材作りから始まっている。
 前回に少し触れたが,東京電機大学に昨年,新設された情報環境学部では,1年生全員にノートパソコンが貸与され,無線LANによりキャンパス内のどこからもアクセスが可能である。この教育インフラは単に学生募集のための広告塔として作られたのではない。
 日本の大学の学費は一定額で留年しても全額を払わなくてはいけない。これに対し欧米では学生が履修する課目数に応じて払う単位従量制授業料である。これを日本で初めて本格的に導入した。またカリキュラムも欧米の大学に範を採り,基礎科目は週に3回学び,3学期制により短期集中的に学習する。一方,自発的なワークショップや演習のために24時間のオープンキャンパスを目指し,プログラミング演習では,課題をこなす学生により深夜まで演習室は盛況である。学生は専用ウェブサイトから履修申告し,レポート提出や小テストはIDとパスワードにより自宅から可能となっている。挙げていくときりがないが,それもこれも教育の理想実現のためにIT化が図られたのだ。
 そこでの教科書が変わらないわけがない。新しい革袋に新しい教育テーマを入れるには,従来の教科書ではカリキュラムにあわず,当初から教員による自作が中心となった。教科書はデジタル化されCD─Rやサーバーを経由して配布。教育用CADソフトを自作し,数々の受賞をきっかけにベンチャー企業を興した教官もいる。
 紙の教科書は今のところ語学とプログラム言語のリファレンスだけで1人あたりわずか3冊,既存学部の半分以下だ。定期試験が近づくと恒例となるノートのコピーもここにはない。学生はパソコンファイルをネットで交換しあうだけである。これが教科書もノートも文房具も売れないと言うキャンパスの実態である。

写真:東京電機大情報環境学部の授業風景。紙の教科書は使われない

写真:東京電機大情報環境学部の授業風景。紙の教科書は使われない