科学技術と教育を出版からサポートする

アメリカ発のITニュースには驚かされることが多いが,マサチューセッツ工科大学(MIT)が4月に発表したプロジェクトには本当に驚いた。これからの10年間で,ほとんどすべての講義内容をインターネットで無料で公開するというのである。
 MIT OpenCourseWare(OCW)と名付けられたこのプロジェクトは2001年秋にスタートし,最初の2年半でウェブを利用するためのソフトウェア開発と500以上の講義内容を準備する。最終的には多岐にわたる分野で2000コースの開設を目指すという。利用対象は当然,MITのみならず世界中の学生や教育機関である。ただちにアメリカ国内を始めワールドワイドで反響があった。特にアフリカ諸国などで経済的な理由から留学したくてもできない人たちから歓迎の声があがっている。
 MITの学長はOCWを「アメリカ高等教育とウェブの自然な融合」と,いともあっさり言ってのけた。その拍子抜けするほど単純な表現には,一方で彼ら自身が「前例のない挑戦」というだけの自負も込められている。それは自分たちの講義に対する自信とともに,すべてを公開することで,MITで学ぶ魅力は増すと確信しているのである。

すべての人に学ぶチャンスを

OCWというプロジェクトは「知の私有化(privatization)」であるという。もともと個人の所産による発見や知は,パブリケーションされて文字どおり公のものとなる。生み出され流通することで公有化された知識は,多くの人たちが学ぶ機会を得ることで,再び個人のものとなって(privatization),初めて循環することになる。しかし,あまねく公開された知を個人が獲得するためには,歴史的にも地域的にも対価が要求されてきた。
 たとえば,「パブリケーション」の訳語である出版は知の流通を担っているが,その知の獲得のためには本を買う必要がある。同様に教室で学ぶには授業料を払う必要があるし,大学で生み出されたばかりの知は研究室でしか知ることができない。図書館は誰もが等しく知識を得るために重要な役割を果たしてきたが,それでも訪れて膨大な資料を繰り,時間のかかる手続きを経てやっと一部のコピーがとれるにすぎない。
 チャンスは平等に,競争は自由にと考えるアメリカでは,知識を得る機会はすべての人々に平等に開かれている。ゴア前副大統領が提唱した情報スーパーハイウェイ(NII)構想のときから,ITは教育の機会均等のために重要な役割を担っていた。インターネットの世界では,知のパブリケーションと私有化が同時に可能であり,両者は同義的ですらある。あとは挑戦的であれば理想が実現される。ここにもMITが「前例のない挑戦」に臨むわけがある。

出版界へ押し寄せる津波

 単位認定も教員との交流もないOCWはバーチャル大学ではない。MITで学び卒業したというレッテルがほしい者は,今後とも大学の門をくぐることになる。学位授与機関としての権威を保つことで,大学ビジネスは不変である。一方,紙の教科書出版社が打撃を受けることは間違いない。MITの教授の一人は香港で過ごした少年時代に,父親からもらったMITの教科書にインスパイアされた体験を持っている。本の力を知っている彼は,ウェブの時代にふさわしい方法で,自らの体験を生かそうとしているのである。
 OCWは他の大学がコンテンツを公開することのモデルとなり,将来,教育のための巨大な資源ができる,とMITは考えている。正直いって,そんなにあおるなよ,という気分である。彼らの挑戦は「一石を投じる」なんてレベルではない。まさにビッグウェーブが高等教育の壁を越えて出版社にも押し寄せてくるだろう。彼らが提起した問題について次回考えてみたい。